サッカー界には「バスを停める」という言い回しがあります。極度にディフェンシブな戦術を用いたチームに対して、ジョゼ・モウリーニョ監督が侮蔑的なニュアンスを込めて「ゴール前にバスを停めた」と喩えたことで広く知れ渡り、今ではファンやメディアの間でもごく当たり前に使われる慣用句になりました。
昨晩の準決勝でも、先制したフランスが残りの40分間をバスを停めることでやりすごしていましたね。敗れたベルギーにとっては、サンクトペテルブルク・スタジアムのゴール前が最後の停留所になってしまいましたが……。
モスクワ行きのバスは最後まで動かなかった
試合後、大会を通じて素晴らしいセーブを見せてきたベルギーの守護神、ティボー・クルトワは「フランスはアンチ・フットボールで臨んできた。うまく守っていたが、ただそれだけだ」と恨み節を残しています。戦前は「自分はベルギー人だけど、少年時代はジダンのフランス代表に憧れていた」と語っていたエデン・アザールも、「あんなフランスの一員として勝つくらいなら、ベルギーの一員として負けたほうがマシだ」と辛辣なコメント。負け惜しみと言えばそれまでですが、彼らの悔しさと気持ちの強さが伝わってきます。
ボール支配率は6対4でベルギー。一方でシュート数はフランスの19本(枠内5本)に対してベルギーは9本(枠内3本)と、一見すると「フランスの方が押していたのでは?」と思わなくもないスタッツです。実際のチャンスはそれほど多くはなく、ベルギーのカウンターを警戒するフランスに「多少確率が低くてもシュートで終わらせよう」という意識が働いた結果、こういった数字になったのだと推測します。いずれにしても、フランスは確かに守備的ではありましたが、公平に見れば「アンチ・フットボール」と批判されるほど守ってばかりいたわけではありません。
クルトワやアザールが腹を立てているのは、サミュエル・ウムティティのヘディングで先制された後、フランスのゴール前に停車した「バス」を動かすことができなかったことに対してでしょう。リードしたフランスのディディエ・デシャン監督は、ためらうことなく6人をゴール前に並べる戦法を採用しました。それを受けて、ベルギーのロベルト・マルティネス監督は中盤のムサ・デンベレに代えて(どうでもいいことですが、この采配でウスマン・デンベレとの“デンベレ対決”は消滅しました)アタッカーのドリース・メルテンスを投入。これだけ引かれると、トランジションによるチャンスメイクは期待できない。ケヴィン・デ・ブライネのポジションを一列下げて、より厚みのある攻撃をしようという方向に舵を切ります。
しかし完全に守りに入ったフランスの守備はとにかく堅い。ベルギーはバス停の外側でボールを回して揺さぶりをかけ続けたものの、バスをひっくり返すまでには至りません。ロメル・ルカクとマルアン・フェライニはターゲットとして相変わらず有効ではありましたが、当然ながらフランスは日本ほど低くはなく、そして戦術的にナイーブでもない。後半40分にはウルグアイ戦の終盤と同様に、197cmのスティーブン・エンゾンジを“クローザー”として投入。キリアン・ムバッペが露骨に時間を稼ぐなどの徹底ぶりも功を奏して、フランスが2006年の「ジダンの頭突き」以来となる決勝進出を果たしました。
すべてのバスの運転手は尊敬に値する
W杯の準決勝以上のビッグマッチなんて、W杯とチャンピオンズリーグの決勝くらいしかない。ルールの範囲内であればどんな手を使ってでも勝とうと努力するのが当たり前で、勝利以外になんらかの理想を追い求めるには試合としての格が高すぎた。誰もがそんな状況を理解しているからこそ、当事者のクルトワやアザール以外にフランスの戦い方を批判する声はほとんど聞かれません。
とはいえ「サッカーは常にスペクタクルでなければならない」と強く信じている向きにとっては、あまり愉快なゲームではなかったことも間違いないでしょう。ヨハン・クライフの「醜く勝つより美しく負けろ」という名言と密接に結びついた思想ですね。ただ、僕個人の見解とは異なります。詳細を語ると長くなるのですが、「福岡市中央区唐人町をレペゼンするヒップホップクルー、TOJIN BATTLE ROYALのリリックとしてサンプリングされてしまった時点で、クライフの言葉は歴史的な役割を終えている」という認識が根底にあるので……。
閑話休題。そもそも、バスを停めたところで守り切れるとは限らないのがサッカーです。この慣用句を広めた当のモウリーニョが、自身の率いるチェルシー(第二次)の守備的な戦術について「あなたもしばしばバスを停めていますよね?」と批判されたときに、こんな言葉を返しています。
「私はバスの運転手を尊敬しているよ。サッカーでは、いつも同じ試合をできるわけではない。支配することも支配されることもある。相手が優位に立って、別のやり方でプレーしなければならないこともある。運転手がバスを停めるには経験と訓練が必要だ。サッカーにおいては時間と練習が必要になる。選手たちはみんなピッチに出て楽しみたいものだが、いつもそうなるとは限らない」
ちなみに、モウリーニョがこう語った2015年のチェルシーでゴールマウスを守っていたのは他でもないクルトワであり、プレミアリーグ優勝の立役者になったのはアザールでした。そして現在、モウリーニョが指揮を執るマンチェスター・ユナイテッドにはルカクとフェライニがいます。結局のところ、バスを停めることもあれば、動かそうとすることもあるのが人生です。そしてどこがバスの終点になるのか、思い通りに選べる人間なんてほとんどいない。そういう話なんだと思います。