同じグループの試合が同時刻にキックオフするグループリーグ第3戦。すでに大勢が決していたグループAとは異なり、グループBはスペイン、ポルトガル、イランの3チームが2つの枠を試合終了間際まで争う大接戦でした。
近年のJリーグ最終節などもそうですが、優勝や昇降格が懸かった同時進行のビッグマッチを、チャンネルを切り替えながら観戦することほど最高な行為はなかなかありません。僕だけかもしれませんが、なんだか自分がすごく偉い人間になったような錯覚を味わえます。
結果的には順当にスペインとポルトガルが決勝トーナメントに進出したわけですが、イランは本当に惜しかった。タレミが最後の決定機を決めていれば、という本当に紙一重のゲームで、試合後に選手たちが号泣している姿は胸に迫るものがありました。また、すでに敗退が決まっていたにも関わらず、スペインをギリギリまで追い詰めたモロッコの奮闘にも拍手を送りたいところです。
VARに批判的な当事者たち
拮抗した展開の中で、選手以上に目立っていたのがVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)です。イラン対ポルトガルの試合では試合の流れが3回止まり、微妙な判定で両チームに1本ずつPKが与えられました。この試合に限らず、これまでなら絶対にPKにならないようなプレーのひとつひとつが見咎められることで、まだ決勝トーナメントも始まっていないのに大会通算PK数は「20」。歴代最高記録を更新しました。
試合後、イランのカルロス・ケイロス監督は「うまく機能しているとは思えない」とVARを批判。ポルトガルの10番、ジョアン・マリオも白熱した試合がVARによってたびたび中断したことに不満を漏らし、またスペインのチアゴ・アルカンタラはモロッコ戦でVARに救われたことを認めつつも、「このシステムによってフットボールが本質を少し失っている」と語っています。
「最小限の介入で最大限の効果」というのがVARの謳い文句であり基本的な哲学ですが、そもそも最大の効果を発揮してしまった時点で、試合に対する介入の度合いは最小ではありえないのではないでしょうか。その矛盾をフィーリングで乗り切ろうとした結果、上記のイラン対ポルトガルのようにVARに試合を振り回されるケースが目立ち、「最小限の介入」と「最大限の効果」のどちらにも問題がある状況が生まれてしまったように思います。
でも、やっぱりVARっていいものじゃないかしら?
VARの運用にあたっては、「ゴール」「PK」「レッドカード」「選手誤認」の試合を変えうる4つの場面における「一目瞭然の誤審の修正」もしくは「重大な見逃しの確認」という用途に限る、という原則があります。
また、最終的な判定は常に主審が行い、VAR自体が判定をすることはありません。さらに「主審、副審はVARの存在を前提とせず常に判定を行う」という規則もあるのですが、本当にそんなことが可能なのでしょうか?
セブンイレブンで「蒙古タンメン中本」のカップ麺を買うときに、チャーハンおにぎりの存在を前提とせずにレジに向かえるのか、という話ですよね。
とはいえ、VARが有用なシステムであることは間違いありません。ネイマールのダイブを見破ってPKを与えなかったシーンに象徴されるように、これまで数々の誤審が繰り返されてきたフットボールというスポーツにおいて、正しい判定の蓄積は実に尊いものです。
また、長期間のリーグ戦に導入することでVARの効果はより大きくなる、という分析結果も出ています。誤審だけでなくファウルやシミュレーションも少なくなり、当然カードの数も減って、試合全体がクリーンになる。VARに見られていることが、選手たちの意識に影響を及ぼしているのは明らかでしょう。
つまり、良かれ悪しかれ、VARが目指す「小さな介入」という哲学自体がそもそも非現実的なのです。微妙な判定のたびに選手たちが見せる「画面を表すジェスチャー」は露骨にVAR以後のものですし、それに応じて審判がプレーを確認しようと思えば試合の中断は避けられない。
さらに、ペナルティエリア内を中心に選手たちのプレーはVARの存在を前提としたものに変化してきています。もはや「介入の度合いが大きくなるのは仕方がない」と認めたうえで、より正確かつ現実的な運用をするための努力を進めたほうが有意義ではないでしょうか。
「より純粋な、真のフットボール」というノスタルジーに基づいてVARというシステムを下から見上げるのではなく、よりフラットに、フットボールの風景が変わっていくことを受け入れること。
そういうスタンスで、僕は今後も「蒙古タンメン中本」のカップ麺を買い、チャーハンおにぎりを選んでいきたいと思います。