長堀橋駅から阪急電車で京都に向かった。2月だった。バレンタインデーでもあった。大阪・ミナミでの最後の仕事を終えて、僕は無職になろうとしていた。とても気分がよかった。1泊4500円の、京都リッチホテルというホテルを予約していた。価格帯からして、リッチな人間はまず使わないホテルだと思った。
河原町駅に着いたのは20時ごろだった。仕事道具のパソコンやら、大阪で過ごした2週間分の着替えやら、そこそこの大荷物を背負って、高瀬川沿いに木屋町通りを南下した。空腹だった。しかしなにを食べればいいのか、まったく見当がつかなかった。
2018年2月14日(水)
ホテルはすぐに見つかったし、チェックインの手続きもスムーズだった。ただ、部屋のカギの開け方がよくわからず、ドアの前でしばし苦戦した。なんとか開くことは開いたが、正しい開け方は今もよくわかっていない。
荷物を置いてお茶と煙草で一息ついていたら、とてつもなく巨大な睡魔に襲われた。窓を開けて冷気を部屋に取り込むと、少しだけ目が覚めた。せっかく京都に来たんだから、なにかうまいものを食いたいと思った。しかし僕は京都のグルメ情報なんてひとつも知らない。とりあえず、現在地から半径500メートル以内の店を食べログでリサーチした。
ホテルから徒歩3分のお好み焼き屋で食事をとった。予想以上においしい店で、妙な意地を張らず素直に食べログを参考にした自分を褒めたいと思った。テレビでは平昌オリンピックのニュースがかかっていた。ショーン・ホワイトと平野歩夢の激闘。その日の午前中、大阪・日本橋のイルな喫茶店で、イルな店主と交わした会話を思い出した。平野が2本目のトリックを見事に成功させてトップに立った場面を、僕はその喫茶店で見ていたのだった。
「平野、ショーンに勝ちますよ。これは流石に金でしょう」
「兄ちゃん、わかってへんな。ショーン・ホワイト、あいつは天才や」
僕は「お前は誰やねん」と思ったが、特に反論はしなかった。するとホワイトは最終滑走で平野を逆転して、本当に金メダルをかっさらっていった。あの店主、いったい何者だったのだろう。とにもかくにも、僕はなにもわかっていなかった。もちろん今もなにもわかっていない。
食事を終えてコンビニで酒を買い、ホテルに戻った。ひとまず京都には2泊する予定だったが、その先のことはなにも決まっていない。なにせ無職だ。時間は腐るほどある。金は有限だが、行こうと思えばどこにでも行ける。ベッドに腰かけて発泡酒を飲みながら、あらためて自分が昂ぶっていることに気がついた。
2018年2月15日(木)
翌朝は京阪電車の清水五条駅から出町柳駅に行った。叡山電車とケーブルカーとロープウェイを乗り継いで、比叡山に登るつもりだった。完全に『タモリ倶楽部』の影響だが、悪くない選択だと自分では思っていた。京都の北の方は行ったことがなかったし、ローカルな電車というのは乗っているだけで少しどきどきするものだ。
宝ヶ池駅を過ぎたころ、乗客がとても少なくなっていることに気がついた。少ないというか、僕1人しかいない。比叡山って人気がないんだな、とのんきに考えていたが、社内の張り紙を見て納得した。終点の八瀬比叡山口駅と山頂を結ぶ叡山ケーブルおよび叡山ロープウェイが、春まで休みなのだという。つまり自力で山登りでもするのでなければ、まったくの無駄足ということになる。とはいえ、比叡山の麓の空気は清らかでうまかった。高野川がさらさらと流れていて、これはこれで悪くないと思った。
寄り道もせずに出町柳に戻るのも癪なので、一乗寺で降りて有名らしい「恵文社」という本屋に行った。店員さんが真面目に働いているのが伝わってくる、とてもいい本屋だと思った。しかし僕には合わなかった(無職だからかもしれない)。ちなみに、「恵文社」にはヘイト本も愛国本も一切置いていなかった。結局、近所の他の古本屋に足を伸ばして金井美恵子の『文章教室』を買った。学生時代に一度読んだことのある本だが、発作的に再読してみたくなったのだ。
出町柳でパンを買い、鴨川デルタを眺めながらまったりしようとしたら、青豆とチーズのパンをトンビに強奪されるという事件が発生した。すぐ近くに座っていたカップルは恋愛に熱中していて、1人の無職がパンを失ったことになどまったく無関心だった。飛び石を眺めながら『たまこラブストーリー』のことを思い出して、ほんのりと苦い気持ちになった。そして夕暮れどきの鴨川沿いを四条まで歩いた。
京都にはお洒落な喫茶店がたくさんあるが、煙草を吸える店は少ない。京都という街に対するちょっとした憎悪を紛らわすようにコメダ珈琲に入って、さきほど買った『文章教室』を読み進めた。辛辣でバカバカしい、素晴らしい文章だと思った。そしてコメダ珈琲が無料で提供する地球上で一番うまい豆菓子をかじった。
夕食は前の晩と同じお好み焼き屋にした。多くの選択肢があったが、どれもあまり魅力的に思えず、同じ店で前日に食べなかったものを食べることを選んだ。せっかくの旅行先で2日続けて同じ店なんて愚かな行為かもしれないが、当時の僕には馬鹿げた行為によるチルアウトこそが必要だったのだ。店員さんはこちらのことを覚えていたが、一定の距離を保って接してくれた。もしまた京都に行くことがあったら、きっと同じように京都リッチホテルに泊まって、同じようにカギの開け方で苦戦し、同じようにあのお好み焼き屋に行くだろう。
前日同様、満足のいく食事を終えてホテルの部屋に戻ったとき、友人からLINEが送られてきていたことに気がついた。「Febbくん死んだ説が関係者間で流布されてる……」。「マジで……マジで?」。急いでTwitterを開いて検索をかけると、該当のつぶやきはすぐに見つかった。
Febbが死にました。御冥福をお祈りします。
— 18PRODUCTION Co.,Ltd (@18_PRODUCTION) 2018年2月15日
僕はベッドに横たわって、そのつぶやきを反芻した。Febbが死にました。御冥福をお祈りします。それはつまり、どういうことだ?
(中)に続く。