女子プロレスラー・伊藤麻希を応援する“伊藤リスペクト軍”の一員を自認しておきながら、伊藤ちゃんが「やれるか/やれないか」で言ったら、「まぁやれないだろうな」と内心思っていた部分がなきにしもあらず。
伊藤ちゃんは、観客を惹きつける天賦の才がある。とはいえ、決して強いプロレスラーではない。だからこそ、彼女は「弱者のカリスマ」という呼び名で称賛された。
しかし、伊藤ちゃんは、今夏行われたシングルトーナメント「第8回東京プリンセスカップ」で悲願の優勝を果たし、10月9日、大田区総合体育館大会のメインでベルトに挑戦する。もう、「弱者」とは呼ばせない。
「死にたくなったら伊藤を見ろ!」「人生を棒に振れ!」
もともと伊藤麻希は九州発のアイドルグループ・LinQのメンバーだったが、そのアイドル活動は苦悩に満ちたものだった。自分なりのパフォーマンスが観客には響かず、握手会を開いてもひとり、ふたりしかファンがやってこない。自分は何なんだろう? うつ病で活動休止し、自殺を考えたこともあった。
そんな彼女を変えたのが、プロレスとの出会いだった。アイドル現場では「ヨゴレ担当」と見なされるがむしゃらさをプロレスファンたちはストレートに受け止めてくれる。そして、伊藤ちゃんはマイクパフォーマンスの天才だった。「死にたくなったら伊藤を見ろ!」「人生を棒に振れ!」……どん底を知るからこその熱いメッセージの数々は、大勢の観客の心を動かし、やがて伊藤ちゃんは「弱者のカリスマ」や「新時代のカリスマ」と称えられるようになった。
……ただ、プロレスラーとして別に強くはなかった。リング上の動きを見ていても、それほど運動神経に恵まれたほうではないことがわかる。だから伊藤ちゃんは、本人の必死さとは裏腹に負けてばかりだった。敗北はいつものことなのに毎回大泣きするところにグッときた。
どちらにせよ伊藤ちゃんは面白いんだから、試合は勝っても負けてもどちらでもいい。そんなある種甘えたムードが観客の間に漂っていなかったと言ったら嘘になるのではないだろうか。
伊藤ちゃんに求めていたのは「こういうの」じゃない
どうしても伊藤ちゃんに謝りたいことがある。「DDTドラマティック総選挙2018」のことだ。こちらは伊藤ちゃんも参戦する「東京女子プロレス」系列のプロレス団体「DDTプロレスリング」による人気投票イベントで、上位にランクインした選手にはチャンスが与えられる。さまざまな実績を残す男子選手たちを制して伊藤ちゃんは第3位を獲得し、「伊藤麻希、ここに在り」を見事に示した。
もちろん自分もいちファンとして伊藤ちゃんに可能な限り票を投じた。しかし、正直なところ、投票したことを後悔した部分があった。なぜか? 与えられたチャンスに必死に取り組む伊藤ちゃんを見て、「こういうのを求めていたわけじゃない」と感じてしまったのだ。
2018年11月25日、DDTの後楽園ホール大会にて竹下幸之介VS伊藤麻希という異色のシングルマッチが組まれた。竹下はDDTのエースで、プロレス界全体を見渡しても屈指の身体能力を誇る存在だ。圧倒的強者を相手に、伊藤ちゃんは無我夢中で立ち向かった。しかし、いかんせん実力差がありすぎる。率直な感想を言えば、試合としてギリギリ成立していたのは、竹下の手腕によるものが大きかっただろう。あらゆる意味で完敗した試合だった。
そして、2019年1月4日の東京女子プロレスの後楽園ホール大会では、チャンピオン・山下実優に挑戦。こちらもコテンパンにやられてしまい、どう試合を形づくるべきか山下が戸惑い気味のようにさえ見えた。
強者に弱者が立ち向かう姿は、観る者の心を動かす。とはいえ、ボロボロの伊藤ちゃんを見て、いつしか自分はこう感じるようになった。
伊藤ちゃんケガしないで。こんな試合ばかりじゃ、いつか伊藤ちゃんが死んじゃう。アスリートタイプの選手とばかりぶつけられても、伊藤ちゃんは「そういうの」じゃないんだから。こんなことなら伊藤ちゃんに投票するんじゃなかった。
この想いを彼女本人に伝えたことはない。しかし、観客にこのように思われてしまうことは、プロレスラーとしてどんなに屈辱的なことだろう。
本当に「あなたはそのままでいい」のか?
伊藤ちゃんはマイクパフォーマンスが面白いから、勝っても負けてもどっちでもいい。今のままの伊藤ちゃんで十分に魅力的なんだからいいじゃん。もちろん伊藤ちゃんを本気で応援していたし、リスペクトしているのも本当だ。でも「あなたはそのままでいい」という言葉は、時にある種の足枷となるのだと思う。
だから伊藤ちゃんがマイクを封印したとき、とても残念だった。それまでの伊藤ちゃんは試合で負けた後、「負けたのは過去の伊藤で、今この瞬間の伊藤なら勝てる!」などと泣きながら吠えて、B’zのヒット曲『ultra soul』をアカペラで歌いながら退場していた。今、冷静に考えると「どういうことなんだよ」とは思うが、そんな破天荒な伊藤劇場が大好きだった。
私が「ああいう伊藤ちゃんが好きだったのに」と寂しく感じる一方で、伊藤ちゃんは淡々とプロレスに向き合うようになった。最初は丸め込みだった。相手の隙をついて、サッと丸め込んでカウントスリーを取る。ややズルい戦法と言われたらまぁそうなのだが、丸め込みによって伊藤ちゃんは試合に勝利するようになっていった。
次は逆エビ固めだった。逆エビと言えばプロレスの基本中の基本の技であるぶん、ある程度キャリアの長い選手同士の試合が逆エビで決まることはほとんどない。しかし、伊藤ちゃんは逆エビを磨き上げ、「伊藤スペシャル」「伊藤デラックス」「伊藤パニッシュ」という3つの必殺技へと昇華した。
気づけば、伊藤ちゃんの勝率はどんどん上がっていった。また、マイクを封印した代わりに表情や仕草などノンバーバルな方法で感情表現をするようになったからか、海外ファンも激増した。そして、今夏の「東京プリンセスカップ」を制し、大田区総合体育館大会にて因縁の相手である現チャンピオン・山下実優に挑戦する。
どれもこれも「そのままの伊藤ちゃんでいいよ」という言葉を伊藤自身が素直に受け止めていたら成し遂げられなかったことだ。ごめんね、伊藤ちゃん。
自分の武器を決めるには、まだ早すぎる
最後に自分自身の話をする。ライターを志す若者の多くは、文章で何かしら自分らしさを発信することにあこがれを抱いている。自分もそのひとりだったが、「センスあふれる主観や気の利いた言い回しを求められるライター」というポジションが非常に狭き門であることに早めに気づき、逆に文章から自我を極力排する方向に転換したことで、今のところ順調にキャリアを築けているように思う。
自分で言うのもなんだが、一読して「おっ」と思わせるものはなくとも、そつのない仕上がりの原稿が書ける。それがライターとしての自らの長所で、あくまで職人的な立場を守ることが美徳だと考えていた。
ただ、最大の武器だったマイクパフォーマンスを封印することで大きな飛躍を遂げた伊藤ちゃんを見て、「『自分の武器はこれ!』というのを決めるには、まだ早すぎるのかもしれない」と考えるようになった。もちろん自分自身の長所を把握するのは大切なことだが、「この武器でやっていく」という結論を下す前に、もう少しあれこれ試す時間があってもいいのかもしれない。
というわけで最近は、自分自身のキャラクターを出すような企画にもちょっと挑戦してみるかという気持ちになっている。実際やってみた結果、適性がないことが明確にわかったなら、それはそれで収穫だろう。新しいことに挑戦するのは恥ずかしいし恐ろしいが、まだまだ私はもっと無様な思いをすべき段階にあるのだと思う。
いろいろ考えさせてくれてありがとうね、伊藤ちゃん。観るものの生き方に影響を与える。やっぱりあなたはカリスマです。