ネットメディアってなんだろう。
メディアのことをよく知らない芸能人たちは、相変わらず「ネットニュースはけしからん」「ネットニュースは楽してる」と数年前から同じことを言い続けている。
新聞社が新聞記事をネットに上げたものを見て「ネットニュースは」なんて言ってる人はたくさんいるし、いまだに「ヤフーニュース」なる媒体があると信じて疑わない人も存在する。もういい加減うんざりなのだが、どうやら日本人の多くはインターネットというものと徹底的に相性が悪いらしい。
ウェブは単なる「場」であり、質はコンテンツの中身にしかよらないということがどうしても理解できない。
だから、ネット=悪意と欺瞞に満ちた信用するに足らない不正確なものという一時の印象がなかなか拭えずにいる。
虚実綯い交ぜなのはどのメディアも同じ。玉石混淆なのもどの表現でも同じ。
「場」とはすなわち「世界」であり、もはやネットメディアなんて一括りで語れるようなものではなくなっているというのに。
そんな、ネットメディアの対抗概念として「紙媒体」という言葉がある。
朝日新聞も東スポも週刊文春も新潮も実話も含めた上での、紙媒体。ネットメディアと言う言葉がいかに中身のないものかわかるというものだ。
画面で見る文字と、印刷された文字では、信頼度に差が出るらしい。
アメリカでは大統領選にTwitterが大きく寄与する時代、日本ではfacebook上での謝罪は謝罪ではないと言われる。
まあこれは謝るほうも表に出たくなくてfacebookで謝ったんだろうからどっちもどっちか。
テレビでタレントが語ったこと、芸能人がブログにつづったことをネタに記事を書くのも気に食わないそうですね。
でも、「誰かがこうコメントした」というのは記事の基本中の基本で、昔からある形。
発表会などリアルのイベントに芸能人が呼ばれるのはコメントを記事にしてほしいからだし、新聞にも「誰々がこうコメントした」と載る。言ってしまえば、政治記事だって多くは政治家のコメントが主体だ。
でも、それをネット媒体でやると「コタツ記事」なんて言われる。
プロ野球を見て監督の采配にケチつけて「俺のほうがよっぽどいい監督になれる」と言ってるオヤジが本気で自分が監督できる手腕も力量も覚悟もあるとは思っていないのと同様に、本当は高度なことをやってるんだろうけど見た目は簡単そうに見えるからやっかみで言っているのであればいいのだけど、わりと真面目に「ネットニュースは楽でいいなあ」と思ってる人もいる。
プロサッカー選手は(試合のある)週2日しか働いてない、と本気で考える人が多いということなんだろう。
2003年頃に読んだ本で誰かが「断言しよう。ブログという言葉は来年でなくなる」と書いていた。ウェブは特別な場などではなく、そこに文章をつづることをとりわけウェブログなどという言葉で切り分ける必要がなくなるという意味だったが、14年経った今もなくなっていない。
これだけ身近になっても、やはりウェブは何かしらのレッテルをまとっているのだ。それはすなわち、ウェブがまだ得体の知れない存在であることも意味する。使う方も見る方も、まだ御しきれてないから、活かしきれないし想定外のことも起こる。それゆえの畏怖の念がどこかにあるのだろう。
だからこそ、僕らはネットメディアをやりたいのだ。畏怖を感じるよりも、仲良くなりたい。
大仰に言えば、ウェブがまとうレッテルをどんどん剥がしていきたい。紙との違いはスピード感だけ、というネットニュースもあるし、テレビの縮小再生産をやってるインターネットテレビ局もある。けれど、ネットメディアはそれにとどまるものではないし、それじゃあおもしろくない。
どんなことができるかは未知数だし失敗もするだろうけど、ここに来れば、なんか興味深いことやってる。なんかわからないけど、楽しそう。
そんなメディアを目指し、『いとわズ』を立ち上げました。
ちょっと気になる、それだけでいい。
何が始まるかわからないし、何が終わるかもわからない。
もしかしたらネットメディアという枠組みすら意味がなくなるかもしれない。形なんてどうでもよくなるかもしれないし、そのうち音楽活動もするかもしれない。来年には『劇団いとわズ』になってる可能性すらある。
そんな僕らですが、よろしくお願いします。