自分はまだ、推しの卒業というものを経験したことがない。自分の推しはと言えば百田夏菜子ただ一人であるので、そんな経験をする可能性すらないと思っている。彼女はももクロそのものであり、両者の関係に卒業という概念自体が存在し得ないのだから。
社内に、でんぱ組inc.のファンというかヲタクというか、そんな言葉ではおさまらないくらいの愛ででんぱを応援している女子がいる。遠征なんて当たり前、なんか離島まで追いかけたり数十万円かかるファンイベントにも行く。中でも大の夢眠ねむ推しで、それこそねむきゅんの写真を持って美容院に行っては同じ髪型にし、持ち物すべてをミントグリーンで揃え、ねむきゅんが好きなものを好きになり、ディアステにねむきゅんの手料理を欠かさず食べに行ったりしていた。
夢眠ねむがでんぱ組inc.からの卒業を発表した今年10月、自分は彼女にかける言葉が何も浮かばなかった。経験どころか概念さえも理解できない、”卒業”。身近で推しの卒業を経験した人間を見たときに、何を思っているのかまったくわからなかったのだ。これまでもいろんなグループでファンに激震が走った卒業の例は何度も目にしてきたが、なんとなく喪失感の大きさを想像していただけで、感情移入なんて一切していなかったのだと思い知った。
果たして、彼女は「自分でも驚くほど穏やかな心境」だったそうだ。まあ、言うても深い悲しみに包まれているのは間違いないだろうと思っていただけに、意外すぎる答えだった。あまりのことに感情が追いついていないだけなんじゃないのとも思ったが、そうではないらしい。
なぜ最愛の人の卒業をそんな明鏡止水の境地で受け止められるのか。それは、「でんぱ組.incである前に夢眠ねむという女性が好きだから」。本当にそんなことがあるのか? 卒業は「アイドルとしてやれることは全部やったから、今度は非アイドルとしてやれることをやろうというチャレンジ」だなんて、強がっているだけなんじゃないのか? しかし彼女は「夢眠ねむの次なるステージを私は心の底から応援できます」と言っている。人は、そんなに物わかりが良くなれるのだろうか。
11月30日、横浜DeNAの筒香嘉智が、契約更改交渉の席で球団に将来的なメジャー挑戦の意向を伝えた。「小さい頃からの夢であるメジャーリーグでプレーがしたい」–。
あ、これは、俺が初めて経験する推しの卒業なのではないか。
プロ野球につきもののトレードでもない。契約のもつれによる退団でもない。もちろん放出でもない。筒香自身が、自らの意思で、次のステージに進もうとしている。
思えば筒香は、2017年のWBCで侍ジャパンの4番を張りMVPを獲った頃から、横浜ファンだけのものではなくなってしまった。西澤千央さんはいみじくも「横浜サイズで語れる選手ではなくなった」という言葉で苦しみを明かしている。
そう、だからわかっていた。いつかこの日が来ることは。でも、メジャーなんてまったく興味ありません、という可能性もゼロではないし、興味はあるけど我慢します、という可能性もゼロではない。ももクロだって「いつか来るカナシミなら、ちゃんと来るかわからない。そんなもののせいで今からグズグズしちゃダメだ」と歌っている。とにかく、ちゃんとは考えないようにしていた。でも、ちゃんと考えてみると、まだ若く、それでいて脂も乗った今の時期に挑戦したいに決まってる。メジャーに挑戦する時期はまだ明言していないものの、海外FAまで待っていたら2021年のシーズン後、つまり3年先ということになってしまう。できればポスティングシステムを使って移籍したいというのが本音だろう。つまり、早ければ来オフにもその日が来てしまう可能性があるのだ。
だからちゃんと考えた。
うん。ようやく、件のユメミスト女子の言葉が本心なのだと理解できた。自分でも驚くほど穏やかな心境。筒香嘉智の次なるステージを私は心の底から応援できます。それは、横浜DeNAである前に筒香嘉智という選手に惚れているから。筒香嘉智というプロ野球選手が好きだから。
筒香のチャレンジを、心底見てみたい。その活躍は日本の誇りになるし、多分横浜ファンの力になる。筒香がメジャーに行っても、菅野から打った同点3ランや、3試合連続1試合2ホームランを決めたサヨナラ弾、夏のハマスタの三者連続ホームランが消えることはない。
少なくとも来年1年間というラストステージは残してくれた。どれだけもらってもお腹いっぱいにはならないと思うけど、優勝を置き土産に卒業なんてことになったら、それこそ心からの「おめでとう」を言って送り出そうと思う。