年の瀬にありがちな「この1年を漢字一文字で表すとしたら?」という話題があるじゃないですか。で、ひとしきり、漢検が発表した今年の漢字が「災」って最低すぎてもうやめちゃえばいいのに、とか、でもこれまでも「北」とか「税」とかひどいのばっかりだったじゃん、とかの話に花が咲いたあとで、自分にとっての今年の漢字はなんだろうって考えたわけですよ。
で、落ち着いたのが「緑」だったんですね。
杏果曲は封印されるものだと思っていた
思えば1月15日の発表と21日の卒業ライブ以降の彼女たちには、常に「4人となった」という枕詞がついて回った。杏果の決断自体は尊重されるべきではあるけれど、ファンの受け止め方はそれぞれで、皆が様々な思いを抱きながら「4人となった」ももクロを見守る。正直、4人のももクロに自分が完全に馴化するまでにどれほどの時間を要するかはまったくわからなかった。
見ているほうがこれほど心をかき乱されたのだから、当の4人のとまどい、不安、プレッシャー、覚悟はいかばかりだったろうか。そして、それを支える信念、強さも。
杏果を失ったことは、そう簡単に埋め合わせができることではない。だからといって見て見ぬふりもできない。なかったことにできることではないということは、直視した上で乗り越えていかなければならないということだ。それに彼女たちはこの1年間、真正面から挑んでみせた。
その集大成が、12月24、25日にさいたまスーパーアリーナで行われたクリスマスライブ「ももいろクリスマス2018 DIAMOND PHILHARMONY -The Real Deal-」だったのだと思う。
ももクロの楽曲、とりわけライブにおける杏果の存在感は尋常ではなかった。その中で、歌割りとダンスを4人バージョンに変更していくのは気が遠くなるような作業だったはずだ。このピンチもチャンスに活かし、自己紹介的に全員の名前や担当カラーを歌う楽曲では、同じ曲調で歌詞を4人バージョンにアップデートすることで新たなアンセムが生み出された。
問題は、ももクロ随一の歌唱力を持っていた杏果の絶唱が見せ場となっていた通称“杏果曲”をどうするか、だった。こればかりは一朝一夕でどうにかなるものではない。しかし、幸いにもももクロには良曲が豊富にあり、3時間を超えるライブでも人気曲すべてが披露されないことも多い。普通に、“最近演らない曲”はたくさんある。杏果曲も、しばらく封印されるんだろうな、そう思っていた。
そして、その封印が解かれたときこそ、あらゆる意味で4人が今回の壁を乗り越えたときなのだろうと思っていた。
まったくもって浅はかだった。そんな封印など、このクリスマスにもう解かれてしまったのだ。
ももクロにタブーなんかなかった
今年のももクリは、テーマが「聴かせて、魅せるライブ」に設定された。「聴かせる歌」――それは、この日を境に杏果不在は金輪際感じさせないという決意表明にほかならない。この1年における4人の、とりわけれにちゃんの歌唱力の向上は目を見張るものがある。実際、杏果パートを最も多く引き継いたのはれにちゃんであり、その陰には想像を絶する努力があったのだろう。他の3人も含め、これまで杏果に頼る部分も大きかった歌唱というものに全力で向き合い、そして結果を出してみせた。
その総仕上げが、絶対的な杏果曲である『灰とダイヤモンド』と『白い風』の披露だった。『白い風』の「その全てを抱きしめるよ」は杏果以外歌えない。「一緒にいない私たちなんて」と歌う『灰とダイヤモンド』は後継曲っぽい『クローバーとダイヤモンド』も出たことだし完全に封印される。勝手にそう思い込んでいた自分を恥じるしかなかった。『灰ダイ』でのあーりんの真っ直ぐな歌唱は圧巻であり、『白い風』で見せたあーりんとしおりんのユニゾンというウルトラCには涙が止まらなかった。
伏線はあった。この秋に行われた「青春ツアー シーズン4」で、こちらも杏果曲である『月と銀紙飛行船』が歌われると、12月9日に行われたFC限定イベント第2部「ガッツリライブ」では杏果の印象が強烈な『words of the mind』が披露されている。『words of the mind』が始まったときは観客からどよめきが起こったが、あのときからすでにももクロにはタブーなどなかったのだ。いや、その前からタブーはなかったのだろう。そうでなければ、東京ドームでの10周年記念ライブであーりんの『ゴリパン』なんてぶっこんでこないはずだ。今思えば、ミュージカル『ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?』も、計算しつくされた上でこの1年に組み込まれた脚本だったのかもしれない。
10周年イヤーである2018年は、杏果に始まり、それを乗り越える物語を見せると同時にさらなる高みにさえ到達した1年だった。今年の漢字は「緑」をおいて他にないが、同時に、来年以降二度と「緑」となることはないということも意味する。それはきっと、喜ばしいことなのだ。