「何か好きなことを書いてくれ」
そう言われて最初に思い浮かんだのがイケメンだった。サッカー、アイドル、趣味はたくさんあるはずなのに、なぜかイケメンが思い浮かんだ。
実際、僕はイケメンという存在がすごく好きだ。特に、イケメンタレントってなんか儚い。
正確に言うのなら、本当は美男美女が好き。ただ、美女は僕にとって異性なので、好きの意味合いが広くなってしまう。なので、「美男美女が好き」という思いは、イケメン限定にしたほうが、より純粋でより混じりっ気がない。
イケメンはそれだけでスゴイ
ミュージシャンは音楽で人を魅了するが、イケメンタレントは見た目だけで人を魅了することができる。
もちろんそのビジュアルを保つのに、それなりの努力を要しているのは理解しているつもりだが、イケメンという才能は、どのジャンルの天才たちよりも、圧倒的にわかりやすく破壊力がある。このわかりやすさが面白い。
「○○は、見た目だけでなんの才能も無い」とイケメンタレントを批判する声をよく耳にするが、それは違う。イケメンである時点で、とんでもない才能なのだ。心に響く歌を唄うことミュージシャンの才能なら、見た目が良いのも一つの才能ということだ。
イケメンタレントの悲哀
だからこそイケメンには悲哀とドラマがある。ミュージシャンは作品に自分を投影することにより、自分という人間を知らしめることができる。
聞く人間の作品理解度の差異によって誤解を生むことは多々あるが、少なくとも叫ぶことができる。これは、画家も彫刻家も役者も漫才師もダンサーもみーんなそう。何かを表現する人たちは、伝わらなかったとしても、叫ぶことができる。その声を聞いてもらうことができる。
しかし、イケメンは違う。なかなか声を聞いて貰えない。見た目が良いことが一番の長所なのだから、その先にある内面を見る必要性が皆無に感じてしまうからだ。ファンになると、好きという気持ちが先行してしまい、「何やってもスゴイよねぇ~」と、それはそれで曇った眼でイケメンを評価することになってしまう。
悲しみだとか、叫びだとか、表現だとか、そんな言いかたをするとちょっと文学的に感じられるが、僕が言いたいのはすごく単純。
「みんな!もっとイケメンの話を聞こうぜ!」
ってこと。
竹内涼真はリフティングがしたくない!
竹内涼真は俳優になる前、サッカーをやっていた。東京ヴェルディユースという超名門クラブでだ。サッカーを知らない人にはいまいちピンとこないかもしれないが、あとちょっとでプロのサッカー選手になってしまうほどにサッカーが上手かったのだ。
人気急上昇のイケメン俳優に、そんな特技があったらそりゃあメディアは気軽に言うだろう。
「リフティングやってください」と。
僕も別に竹内涼真ウォッチャーではないので、この言葉を彼が何度言われたかは知らない。だが、相当の数言われていることは想像がつく。もちろん露骨に嫌な顔をするわけではない。ただ、ちょっとだけ顔は曇る。
そんな竹内涼真に、今回は自分勝手に、全力で思いを馳せてみたい。
したくない理由は、上手くないからなんかじゃない!
竹内涼真がこういうときによく口にするのは「いや、僕そっち系じゃないんですよ」だ。
ユース時代の竹内涼真を知っているわけではないが、DFというポジションと185センチの高身長という情報から、そもそもボールを扱うことがそれほど得意ではなかったことが想像できる。おそらく、身体をぶつける競り合いに強かったり、頭をフル回転させながらサッカーをしていたのだろう。だからこその「僕、そっち系じゃないんですよ」。つまり、「僕、テクニック系の選手じゃなかったので、そんなに上手くないですよ」だ。
しかし、メディアや視聴者の意見としては、「そんなこと言っても上手いに決まっている」「リフティングしている姿が見たい」だ。そして事実、竹内涼真はリフティングが上手い。”そっち系じゃない”にしても、一般的には十分に上手いのだ。そして、メディアと視聴者はそれで十分なのだ。
だが、竹内涼真はリフティングをしたくない。もちろん求められているのを知っているのでするにはするが、できればしたくない。俳優として、タレントとして、求められていることをやらなければいけないという思いもあるだろう。だが、それでもリフティングをしたくないのだ。
竹内涼真がリフティングをしたがらないのは、果たして、「そっち系じゃない」という理由だけなのだろうか?「そんなに上手くないんでやりたくないっすよ」が、本音ではない気がする。
ちなみに、映画だかなんだかの記者会見で竹内涼真は、周りに囃し立てられてサッカーのリフティングを披露した。そのとき彼は、「サッカータレントは、リフティングやらなくて良い制度を作りたい」といった趣旨の発言をしている。これを嫌な感じひとつ出さずに言えたのは、人柄の良さが要因だと思う。
本気の本気でサッカーをやってた人
名門ヴェルディユースでやっていたぐらいなのだから、竹内涼真は相当真剣にサッカーに打ち込んでいたはずだ。べらぼうにモテるであろうルックスを持っているのに、青春のほとんどをサッカーに捧げていたハズなのだ。じゃなきゃ絶対にヴェルディユースになんか入れやしない。
それでも竹内涼真は、サッカー選手になれなかった。ならなかったのではなく、なれなかった。夢半ばで諦めたのだ。そんな状態で「リフティングやってください!」と言われたら、どう思うだろう? 人前に立つプロとしてはやらなければいけないかもしれないが、絶対にやりたくないに決まっている。
竹内涼真の本音は「俺は俳優だから、リフティングなんてやらねぇぜ」と調子に乗っているわけでなく、「いや、僕そんなにうまくないんすよ」でもない。「同期でプロになって苦労しているヤツもいるのに、僕のリフティングごときでドヤ顔したくないよ」な気がする。サッカーを一緒にしていた仲間や先輩達への最大限のリスペクトなのだ。
すべては妄想であり、想像にしか過ぎないのだが、僕はこのように竹内涼真を見ている。だから、言われた通りにホイホイとリフティングをしない竹内涼真が、僕は好きだ。
そして色々な想いを巡らせた十数年後くらいから、ホイホイリフティングをするちょっと親近感ある役者になってくれたら僕はもっと好きになる。