W杯を全試合見る人もいれば、まったく見ない人もいる。当たり前のことですよね。自国の試合だけは見る人、忙しくてそれどころじゃない人、端からサッカーに興味がない人……。人生はいろいろで、正しいも正しくないもありません。この1ヶ月間のバカ騒ぎに、心の底からうんざりしている人もいるかもしれない。本当にごめんなさい。あと1週間の辛抱です。
まがりなりにも「多様性を大事にする」というテーマを掲げている僕たちの社会にとって、「サッカーが嫌いな人」というのも、それはそれで貴重な存在です。10年以上前、表象文化学会の対談で批評家の浅田彰さんが「スポーツなんて見ませんよ。ましてやサッカーなんて、あんな野蛮なもの」と吐き捨てたことがありましたが、大半の人は「嫌い」よりも「知らない」や「興味がない」といった姿勢に行き着くもので、「野蛮なもの」とまで言い切れるのは相当に稀なケースでしょう。
「僕の周りにそこまで過激な人はいないなあ」と呑気に考えていたのですが、日本対ベルギーの試合が終わった直後に、筋金入りのサッカー嫌いが名乗り出てくれました。6月24日の記事に登場したS先輩から久しぶりに連絡があったのです。そこでは「サッカーにまったく興味がないS」と書きましたが、あらためて話を聞くと、より積極的かつ自覚的にサッカーのことが嫌いだったようです。せっかくなので、彼との対話を以下に記録しておきたいと思います。
彼の地方では食物貯蔵庫のことを「モロ」と呼ぶ
「まず大前提として、私はサッカーとサッカーに関係する人が嫌いです。これは昔から変わりません」
なぜ後輩の僕に対して敬語なのだろう……。とにかく彼のサッカー嫌いは、高校時代に同級生のサッカー部員にお金を盗まれたことに起因しているそうです。前にもそんな話を聞いたような気がしますが、どうでもいい情報すぎて完全に失念していました。
「そもそも家にテレビがないし、そんなもの見たいとも思いません。テレビは下品です。でも、いつもの習慣で早起きしてラジオのスイッチを入れたら、たまたま日本対ベルギーの中継をやっていたんです」
平成が終わろうとするときに、昭和のような生活を送っているS先輩。この日の別のやりとりでは「会社とか意味わかんねえ時代錯誤な組織によく耐えられるな」と愚痴っていましたが、時代錯誤のレベルでは彼もそんなに負けていません。
「ちょうど日本が2点リードしているタイミングで、『おっ、頑張ってるじゃん』と思いました。でも、すぐに嫌な記憶がフラッシュバックしました。なぜなら同じ言葉を8年前に渋谷で発したら、その場にいた2人に人格を否定されたからです」
僕も思い出しました。8年前に渋谷の居酒屋で見たオランダ戦の、0対0で迎えたハーフタイム。彼がなんの気なしに「日本頑張ってるじゃん」と言った瞬間、同席していた僕とO先輩(故人)が「ド素人が。サッカー知らないんなら黙ってろよ」と罵ったことがあった。そのときの僕たちは、大声でウンチクを語ることで周囲のにわかサッカーファンたちにマウンティングを仕掛けている最中だったのです。ついでに「サッカーに興味がない」と公言しているS先輩の無邪気な発言を全力で叩き潰し、力の違いを見せつけることで、その空間における強者として君臨する。そんな浅はかな狙いがあったのだと思います。
みんな若かった。なにもかもが懐かしいですね。あのころが一番楽しかったです。そんなふうに話を逸らそうとする僕に対して、彼は敬語をやめて荒々しい口調で怒りをぶつけてきます。フリーザかよ。
「俺にとっては昔話じゃないし、マジでお前らのせいでサッカーに対する憎しみは倍増してるから。サッカーファンってさ、フー、フーテンだっけ、フリーターだっけ? フーリガン? なんだっけ、テロ行為するヤツら。フーリガン? マジでクソしかいねえじゃん。そもそも『サッカー』ってなんだよ。そこは『フットボール』とか言わないの? 下半身でしか思考できないおしゃれパーマどもがよ。まあフットボールとか言うやつもツーブロックのクソだけど。どうせ『サッカーの語源は~』とかイキった話ばっかしてるんでしょ?」
なぜいきなり髪型の話になったのかはわかりませんが、S先輩は凄まじい勢いで歪んだヘイトを撒き散らしていました。しかし彼の憎しみを増大させ、悲しきモンスターにしてしまった原因の半分は僕たちにあるのです。彼があの日、あの渋谷で僕とO先輩に罵倒されることなく、なんらかのサクセスを手にしていれば……。そう思わずにはいられません。
ちなみに、S先輩は小学生のころ「人を見た目で判断する悪癖がある」と通信簿に書かれ、お仕置きとして自宅の食物貯蔵庫に閉じ込められたことがあるそうです。残念ながら、まったく成長していませんね。
「戦中は防空壕に使っていた場所でね……。地元では食物貯蔵庫のことを『モロ』と呼んでいた」
「あ、そういう情報はいらないです」
こうして僕たちの対話は終わりました。先の記事では「性格的には穏やかな先輩」と書きましたが、それについても訂正させていただきます。考えてみたら、ずっとこういう感じの人でした。