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【ロシアW杯全部見る】記憶よ、語れ

帝政ロシアに生まれ、のちにアメリカへと亡命した作家ウラジミール・ナボコフは、自伝『記憶よ、語れ』の第5章で、少年時代の家庭教師であるマドモアゼルOについて回想している。作品のモチーフに落とし込んでしまっていたマドモアゼルOを、実在したひとりのフランス人女性として小説から救い出そうと試みるナボコフ。彼の知性と愛情が詰め込まれた、とても美しい文章だ。

ところで、8年前のある日、僕はOという先輩に誘われて渋谷で南アフリカW杯の日本対オランダ戦を見たことがある。初戦を勝って迎える日本のグループステージ第2戦、というシチュエーションが今晩のセネガル戦にそっくりで、つい思い出してしまったのだ。

その夜、僕たちは下卑た欲望を抱えて街に繰り出した。まったく美しい話ではないし、言うまでもなくOはマドモアゼルではないが、彼はたしかに実在した僕の先輩だった。記憶よ、語れ。

どこにでもあるような安っぽい話

2010年6月19日、大学を卒業して働き始めたばかりのOは、学生時代の同級生であるSと、後輩の僕にこう声をかけた。

「渋谷でサッカー見ねえ? たぶんやれるぜ」

なにをやれるのかはともかくとして、僕はヒマだったので快諾した。もうひとりの先輩、大学院生のSはサッカーにはまったく興味がないと言っていたが、結局ノコノコと渋谷に現れた。

Oは軽薄で露悪的で、同じ大きさの愉快さと不愉快さを具えた人間だった。細いパンツを好んで履き、髪はいつもスプレーでガッチリと固めている。男女問わず、間違いなく好き嫌いが分かれるタイプだ。対してSは作家の池澤夏樹と島田雅彦を足して2で割ったような顔立ちの、性格的には穏やかな先輩だが、やはり「やれる」という言葉の魅力には勝てなかったらしい。もちろん僕もなにかをやれるのが楽しみで仕方のない、時間を持て余したセクシストだった。

学生時代、僕たち3人は同じ近現代文学のゼミに所属していた。趣味嗜好はバラバラだったが妙にウマが合い、主にOの思いつきでよく一緒に遊びに出かけていた。どこにでもある普通の友人関係だ。

僕たち3人は大きなテレビで日本対オランダの試合を放送するという鳥料理屋に入った。試合が始まる1時間ほど前だったと思う。料理やドリンクはやや割高だったが、テレビは本当に大きかった。僕たちは他愛もない、そしていつも通り下品なバカ話をしながら、試合が始まるのを待っていた。なにかをやろうとするにはまだ早すぎる。

キックオフの30分前になると、客がどんどん増えてきた。隣の席に座った若い女性の2人組に、Oがさっそく声をかけた。「日本勝てるかな」とか「誰がゴールすると思う?」といった話題からスタートして、軽いノリで名刺を渡し、相手の名前や年齢を聞き出している。僕もSもまだ学生だったので、もちろん名刺なんて持っていない。ちびちびと酒を飲みながら、「名刺かあ」「名刺っすねえ」などと言い合ったことを覚えている。

結局、そのグループは男女2人ずつの4人組だったようで、遅れてきた男たちが席につくとOはすぐに手を引いた。試合が始まるころには店内は超満員状態で、「ゴールが入って盛り上がったら乱戦になるはずだし、勝てばやり放題でしょ」とOは狙いをつけていたが、僕は当時の日本がオランダからゴールを奪って勝てるとは到底思えなかった。Sもオランダが強いことくらいは理解していたようで、「本当にやれんのか」と高田延彦のような疑問をOにぶつけた。Oは「いや、負けてもワンチャンあるはず」などと意味不明なことを言った。

試合はスナイデルのミドルシュートが決まってオランダが1対0で勝利。高揚感に満ちていた店内の空気もすっかり弛緩してしまった。Oと僕は近くの席のサッカー好きたちと感想をぶつけ合うことに熱中し、サッカーに興味のないSだけが女性客にアプローチをかけていたが、もちろんなんの結果にもつながらなかった。

予想以上に高くついた会計をすませて店を出ると、渋谷の街は倦怠感に満ちていた。多くの人が盛り上がりきれないまま萎んでしまった気持ちを消化するのに時間がかかっているようで、帰りたいような、でもまだ帰りたくないような雰囲気を醸し出している。

僕たちはチャンスだと思った。ドン・キホーテからスクランブル交差点にかけてのエリアで、3人がそれぞれ単独で行動して声をかけまくる作戦を実行した。しかし、いざ話しかけてみると全体的に反応は鈍かった。もちろん僕の力不足もあるのだが(それがほぼすべてだが)、結構な割合で2軒目に行きたいような素振りを見せてくるにも関わらず、最後の最後で決定力が足りないのだ。これじゃまるで日本代表じゃないか、と在日韓国人の僕は思った。

精神が疲弊した僕は、ドン・キホーテの前でアリエン・ロッベンのユニフォームを着用した背の高い外国人男性に「ナイスゲーム! スナイデル! ブラボー!」と雑すぎる絡み方をした。彼は「センキュー、センキュー。ガンバッテ、ニホン」と笑顔で握手をしてくれた。すごくいい人だった。

そこから1時間以上は粘っただろうか。OもSも、もちろん僕もなにひとつ戦果を上げられないまま、109の前に集合した。みんな疲れて、地獄のような顔をしていた。

終電もなくなっていたのでカラオケに入り、簡単な反省会を開いた。結論はすぐに出た。「すべて日本代表が悪い」。やけっぱちになったSが、青春パンクの下品な曲を歌った。僕もOも続いて、できる限り下品な曲を下品に歌い続けた。そして最後に君が代を熱唱した。たぶん日本代表よりも、僕たち3人のほうが声は大きかったはずだ。カラオケ代も決して安くはなかったが、Oがすべて奢ってくれた。こういうところでは本当に気前のいい男なのだ。

美しいことなんてなにひとつ起こらない夜だった。ただ意味もなく愉快だったことも事実だ。そのあとも僕たちはしばしば遊びに出かけたが、Oは2年前に亡くなった。Sと僕は彼の通夜の帰りに、カラオケで君が代を歌った。

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