A「お昼何食べるー?」
B「何でもいいよ」
A「何でもいいが1番困るんだけど?」
B「だって特に食べたいものないし」
A「じゃあパスタは?」
B「パスタはちょっとなー」
A「何でもいいって言ったじゃん!」
このお馴染みのやりとり。今、この国ではBが悪いという意見が多勢を占める。優柔不断な態度と、「何でもいい」と言ったクセにパスタを否定しているワガママさが原因だ。
しかし僕は、けっこうな大差でAが悪いと考える。仮に2人が恋人関係で、Aが毎日食事の用意をしているのなら別だが、他のケースではほぼAに非がある。その理由をやりとりを振り返りながら説明したい。
A「お昼何食べるー?」
まずここ。Aはメニューを考えることを放棄し、Bに決定権を委ねている。先に質問をしたからイニシアチブを握っているように見えるだけなのだ。
B「何でもいいよ」
優柔不断のようだが、これは仕方ない。なぜならBは、今の今までお昼のことなんて考えていなかったのだから。翌日の仕事のことなどを一所懸命考えているところに、急にお昼の質問をされて食べたいメニューを即座に答えるのは無理がある。
A「何でもいいが1番困るんだけど?」
決定権を委ねておいてこの態度はない。決定権を委ねたこと自体「なんでもいい」っていってるようなものなのだから。
B「だって特に食べたいものないし」
考えてなかったのだから当然。そもそもお腹が減っていない可能性だってある。
A「じゃあパスタは?」
最初からパスタと提案すればいい。
B「パスタはちょっとなー」
今初めてパスタという意見を聞いて、それを拒否しただけ。だってもともと食べ物のことなんて考えていなかったのだから。
A「何でもいいって言ったじゃん!」
否定されて怒っているだけ。この態度からは、否定されるのが嫌で最初にパスタを提案しなかったということが窺える。
つまり、Aは決断という責任から逃れているだけなのだ。にも関わらず、Bが決断しなかったことに対して、「せっかく聞いているのに!」と自分の善良なる気づかいを台無しにされたと錯覚してしまっている。
あくまで、“選ばせてあげようとした”ではなく、“選んでもらおうとした”だけだということを忘れてはいけない。
よって、優柔不断でワガママなのは圧倒的にAになる。