私の母は「愚鈍」という理由でパディントンのことが嫌いなんですが、そんな理由でパディントンのこと嫌う人、いる?
そんな母親の趣味が関係しているのか、私はパディントンについて「クマである」以上の知識を持っていなかったのですが、「『ぴあ映画初日満足度ランキング』第1位だし……」という理由で公開中の『パディントン2』を見に行ったら、とてもいい映画でしたという話です。
ネタバレありますよ!
大劇場でのワンマンショーより、刑務所の中が幸せ?
本作は、「すべての夢が叶う場所」という言葉がキーワードになっている通り、”夢”をテーマにした物語です。ただ、その夢の描きかたが非常に堅実。夢というより、自己実現と言ったほうが作品の雰囲気にぴったり合うかもしれない。そちらの言葉のほうが、今の生活と地続きな感じがするので。
落ち目の俳優・ブキャナンが、アンティークショップから貴重な絵本を盗み出したのは、大劇場でワンマンショーを開催する資金を作ろうとしたから。しかし、物語のエンディング、刑務所に収監されたブキャナンは、そこで囚人たちと歌い踊って、「こっちのほうが楽しい」と笑うのです。
なぜブキャナンは、大劇場よりも刑務所でのショーのほうが楽しいと言えたのか? それは物語の中でほんの少しだけ語られた、「ブキャナンは、役者としての仕事の現場でも、周囲と上手くコミュニケーションがとれなかった」というエピソードが関係しているように思います。
また、パディントンが入れられた刑務所で一番凶暴な囚人・ナックルズの姿も印象的です。彼は食堂のシェフを務めているのですが、料理がめちゃくちゃ不味い。それでもパディントンからマーマレードサンドの作りかたを習ったことで料理の楽しさに目覚めます。
囚人たちの誰もが恐れるナックルズもまた、孤独な男でした。しかし、おいしいマーマレードサンドを作るようになったことで、他の囚人たちとの距離が縮まっていきます。釈放後に開いたサンドウィッチ店はなかなか人気らしく、きっとお客さん相手にも不器用な優しさを発揮していることでしょう。
こう考えていくと、『パディントン2』における自己実現って、必ず他者とのコミュニケーションに基づいています。
稼ぐことを重視しなければ、選択肢はまた変わる
『パディントン2』を見て思い出したのが、山下陽光による書籍『バイトやめる学校』(タバブックス)です。ハンドメイドファッションブランド「途中でやめる」を主宰する山下による、”資本主義が得意じゃない人”に向けた、好きなことで自活して楽しく暮らしていく方法を指南するテキストです。
こう聞くと「夢は諦めなければ叶う」的なふわふわしたメッセージしかない本を想像するひともいるかもしれませんが、『バイトやめる学校』は大変実践的。
雇われてはたらくのがしんどくなって、やめて好きなことをやって生活していきたいというときに、自分が無理なくできることをすっとばして「好きなことをやろう」となってしまうから、突然、「田舎で古本屋カフェやります」みたいな話になる。それ、絶対食えないでしょ。
「人はめっちゃ嫌がるけど、自分はそんなに嫌じゃないよ」っていうものがあったら、大事にしてください
この部分だけで信用できる! 『バイトやめる学校』を読むと、「”好きなこと”をやりたい気持ちはあるけれど、自分の”好きなこと”を突き詰めていくと何だ……? それと、自分の”人はめっちゃ嫌がるけど、自分はそんなに嫌じゃないこと”が重なるポイントってどこだ……?」と考えさせられる。大変ロジカルな本なんです。
上記のような考えかたをしていくわけだから、『バイトやめる学校』では、「ウルトラ隙間産業」を推奨しています。本の中で紹介されているのは、田舎の廃校に住んでゲーム実況をしたり、農作業の手伝いをする集団”山奥ニート”とか、いろいろ。
お金を稼ぐことを重視していない(むしろ嫌がっている)ので、『バイトやめる学校』には、物々交換的な生きかたのアイデアがいろいろ書かれています。で、物々交換となると、人間同士のコミュニケーションが発生する。
「好きなことをして幸せに生きる」ことって、「好きなことで、ガンガン稼いで、あわよくば有名になる」こととは限らないのだなぁと、当たり前だけど忘れがちなことに気づかされる1冊です。
“文章を書くのが好き”なのに、つらそうな人々
私が働いている編集プロダクション・HEWには、クリエイター志望の若者が働きにやってくることも多いわけです。しかし、せっかく憧れのモノづくりの現場に入れたのに、なんかつらそうな感じになって、辞めてしまう人もいる。
まぁモノづくりの現場への夢をふくらませていたぶん、現実の業務との落差に戸惑うって感じなんでしょうけど。社内外でそういう若者を何人か見てきて最近思うのが、「あの子たちは自分の”好きなこと”を解体しきれていなかったんだろうな」ということです。
「文章を書くのが好き」と一口に言っても、文章を書く楽しさっていくつか種類があって、「自分の興味があるものについて、のびのび書くのが好き」一辺倒の人だと、少なくとも、弊社のような編集プロダクションには向いていない。おそらく編集プロダクションで働くのは、「200文字の文章を30文字に要約したりする作業って、パズルみたいで好き」と思える人が向いているんじゃないでしょうか。
「自分の興味があるものについて、のびのび書くのが好き」な人でも、自分は「文章を書くのが好き」な人の中でも、そういうタイプなんだと自覚していれば、「文章を書くといっても、この場所は自分のやりたいことと違うわ」と退職してさっさと次に行けるし、もしくは「好きなことについてのびのび書ける身分になるために、とりあえずここで実績作って、チャンスを見つけよう」と割り切れるかもしれない。
ただ、「文章を書くのが好き」にもいろいろタイプがあると気づかないまま、「自分は文章を書くのが好きで、ずっと文章を書いてきて、今まで書いてきた文章は結構褒められていた」と思っている人だと、大好きな文章を書く現場で、毎日ダメ出しされることになるのだから、「こんなはずでは……」と相当つらい気持ちになってしまう。そして、プライドがあるぶん、ギリギリまで辞められなかったりする。
同じ”走る”でも、短距離走者がマラソンやったところで、いきなり良い記録が出せるわけないのだから、実際そんなに悩む必要はないのだけど……。”好き”を解体しておかないと、悩まないでいいところで悩んでしまうし、本当は必要じゃないものにしがみついてしまうので危ない。
しなくてもいい苦労をしないために
で、『パディントン2』に戻ります。ブキャナンは、口では大会場でのワンマンショーをやりたがっていたわけですが、実際、彼の夢を細かく解体していった先が、刑務所で囚人たちと一緒に歌い踊ることだったのでしょう。表現を通じたコミュニケーション、それこそがブキャナンが真に欲していたものだったように思います。
『バイトやめる学校』からわかる通り、自分の本当に”好きなこと”を知るためには、「好きなことをして幸せに生きていくことは、稼ぐことや、その分野で名声を得ることと必ずしもイコールではない」ということを念頭に置いて、ひとつひとつの希望を細かく解体していかないといけません。そして、行きつくところは、物々交換に近い形の「ウルトラ隙間産業」をして、その考えに賛同してくれる人たちと密にやっていくことかもしれない。
とはいえ、自分の”好きなこと”をきちんと把握しておくというのは、すごく大変なことなんだろうな……。だからブキャナンも、しなくてもいい泥棒をしたり、走る汽車の上で大立ち回りをしたりしたのだし。
しかし、そういうしなくてもいい苦労を避けて、なるべくスムーズに幸せになるために、自分の本当に”好きなこと”を知りたいものですね。人間たちよ。