4月7日より公開中の『ミスミソウ』が、暴力映画として超最高という話です。
今年見た映画では、今のところ、『今夜、ロマンス劇場で』か『ミスミソウ』かって感じですね! 人間関係が固定化されると、人は気がおかしくなりがちなのでヤバいと思いました。
「うちらのグループ、マジでキャラ濃い」
私の実家は千葉県の、「都内に通勤/通学できる範囲だけど、まぁ毎日これはキツイわな……」というエリアに位置し、中学~大学の10年間、片道2時間近くかけて東京に通い続けた。成長期に睡眠不足だったせいか、私と弟はあまり背が伸びなかった。
中学に進学してから、小学校の同級生とたまたま駅前で会ったのですが、「あいつはこうなった」という噂話ばかりで、うわっとなった。田舎(ってほどでもない町なんですけど)は継続的に楽しめるコンテンツが他人しかないんだな~、田舎こわ~、東京の学校行ってよかった~と思った出来事でしたが、そういう娯楽は田舎にしかないわけではなく、都会にだってあふれている。
「うちらのグループ、マジでキャラ濃い」という言葉が、これまでの人生で1回も言ったことのない自信があるくらい苦手。コミュニティへの帰属意識が強いのに加えて、自分が所属するコミュニティを称賛しているなんて、本当に内に籠っていて、うわっとなる。
もしかするとケージの中で暮らすハムスターたちも、「このケージの面子、マジで神wwww」と思っているのかもしれない。引く。
家族を焼き殺された少女の復讐劇
『ミスミソウ』は、女子中学生の壮絶な復讐を描いた物語です。東京から田舎に転校してきた野咲春花(山田杏奈)は、部外者として壮絶なイジメを受けていた。イジメは激化していき、ある日、春花の家に火がつけられる――。
イジメがエスカレートしていく様子を見て、「これ絶対、誰か1人でも学校や地元以外に居場所があれば、放火は起きなかったよな」ということを考えていました。イジメをしている同級生たちは、どこか互いの顔色をうかがって、「自分はここまでできる」とアピールしているようにも見えるのでした。
また、彼女たちは家庭に問題を抱えていて、そのうっ憤を発散させる場が学校しかなかったりする。もうひとつ、どこかに居場所があれば、また学校での状況が変わったのかもしれない。
過激な暴力描写よりも、“閉鎖的なコミュニティにずっと所属していると、人間は気がおかしくなってくる”という部分に恐怖を感じる作品でした。どこにも行けないという諦念が、作品を重苦しく覆っている。そこに10代ならではの視野の狭さが加わった結果、家族は焼け死ぬ。
『ミスミソウ』を見て、「コミュニティこわ」という感想を抱いたのは、ちょうど青年団の舞台『革命日記』と、山本直樹の漫画『レッド』を見たタイミングだったということが大きい。どちらも新左翼をモチーフにした作品なのですが、人間同士がひたすら人間の話をしている感じが、大学のサークルを思い出して、うわっとなりました。
気がおかしくならないための試み、始めました
「気がおかしくなりたくない」という気持ちが強い。
同じ価値観の人同士が集まることによって価値観が強化されていくという点で、SNSとは恐ろしいツールです。1000人いたら50人しか同意しない程度の意見だろうと、その50人が周りに固まっていたら、この考えは正しいと錯覚してしまうのは仕方なく、コミュニティがカルト化しやすい土壌がある。非常に月並みな言葉ですが、やはり所属するコミュニティは最低でも2つ、理想を言えば3つ以上あるのがいいように思います。
ひとつのコミュニティ内での価値観に適応しすぎた結果、人間の視野が異常に狭くなってしまうのであれば、気がおかしくならないためには、どんなコミュニティにも所属しきらず、常に宙吊りの状態に置くことが大事なのかもしれません。それは大層つらい道かもしれませんが、それ以上に私は気がおかしくなりたくないのです……。
というわけで、「身の回りの人間が固定化するとヤバい」という危機感のもと、今年に入ってから、初対面の人間同士で飲むことを意図的に行っています。一度会った程度の人を飲み会に誘いつつ、相手にまた知り合いを呼んでもらうことの繰り返し。今のところ楽しい人とばかり知り合えてハッピーですが、いずれは「こいつクソムカつくな」という人間と遭遇してしまうのかもしれない。しかし、気がおかしくならないためには、それもまた必要な苦行……。
皆さん、私の気がおかしくなったときは、強めに肩を揺すってやってください。
あと、『ミスミソウ』は、話は重苦しいわりに暴力描写やらは過剰で景気がよく、そのギャップがよかったです。持つべきものは、切れ味のいい刃物!
公式サイト 映画「ミスミソウ」公式サイト