『週刊文春』が、ライバル誌『週刊新潮』の重要機密である“中吊り広告”を恒常的に事前に盗み見ていたらしい。
中吊り広告とは、雑誌の内容がひと目でわかるように一覧になったものであり、本誌発売直前に鉄道や書店などに掲示されるよう、本誌の最終校了より早い締切で作成される。
つまり、できたばかりの中吊り広告を見れば、雑誌が店頭に並ぶはるか前に内容を知ることができるわけだ。
文春は新潮の中吊りを見て急いで自社の原稿に取り入れたり、新潮本誌が発売される前にネットで早出しをしてスクープを潰していたらしい。これが「産業スパイみたい」だの「越えてはいけない一線を越えた」だの大変な騒ぎになっている。
しかし……これってそんなに大騒ぎする話か? 去年の芸能の話題を独占したことで『週刊文春』という媒体が何かステータスのようなものを得たかのように皆錯覚してるが、文春も新潮も下世話の代表のような雑誌。
この業界に入る前から電車で両媒体の中吊りを見るたびに「こんなものを作る人間にだけはなりたくない」と常々思っていた自分のような人間からすると、(彼らにとっては)普通の取材活動なんじゃないの? と思ってしまう。
犯罪でさえなければ、今までだってどんな手段だって使ってきただろう。競合他社の動向を気にしていないわけがない。
だって、例えば両編集部の人間同士が顔見知りだったら、「今何追ってんの?」「◯◯の件、何か掴んだ?」などと探りを入れることもあるだろうし、聞かれた方も別に激怒するでもなく「そんなこと言えるわけないだろ」で終わるだろう。
お互い悟られないように手帳とかメモとか資料とか厳重に管理するだろうし、何か尻尾を掴めないか、ちょっとでもスキがないか狙っていると思うのだ。
今回の件が、文春の記者が新潮社に不法侵入して機密書類を窃盗したのであれば、それはやり過ぎというか普通に犯罪行為だが、頼んだら見せてくれる人がいたのだから、文春だけがおかしいという話ではないだろう。
それなのに、新潮は文春だけを非難する。それはなぜか。その「見せちゃった人」というのが、出版界のアンタッチャブルである取次だったからだ。