あの漢さんが小説を書いた。「あの漢さん」と言われても誰だかわからないんだけど、という人はGoogleで「漢 a.k.a. GAMI」と検索してみてください。あなたのスマートフォンやパソコンは、こういった事態に対処するために存在しているのだから。
とにかく、日本のヒップホップ界の重要人物である漢さん――なぜかみんな「さん」という敬称を欠かさない――が初めて小説を書いた。東京キララ社の「ヴァイナル文學選書」という風変わりな企画のうちの1作、『北新宿2055』と銘打たれた対話篇による近未来SFが、この稀有なラッパーの小説家デビュー作だ。
「ヴァイナル文學選書」とは
「ヴァイナル文學選書」の第1弾「新宿歌舞伎町篇」の著者は石丸元章、海猫沢めろん、漢 a.k.a. GAMI、菊地成孔の4人。すべての作品が新宿を舞台にした掌編小説で、なおかつ新宿の書店等でしか流通しないという特異な販売形態になっている。バラ刷りの紙をビニールで密封する意味はよくわからない(一度開封して取り出したら死ぬほどしまいにくい)が、ヴァイナル文學という響きがシブいのでよしとする。
漢さんの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)を読んだときから、僕はずっと「漢さんがガチで小説を書けば芥川賞くらい余裕っしょ」と半ば本気で思っていたし、ヒップホップ&文学フリークの友人ともしばしばそんな話をしていた。物書きにはいろんなタイプがいるが、経験したことを語るだけで一定以上のスコアを叩き出せる人間はそう多くない。
イリーガルなビジネスについて「観葉植物を売っていた」などと表現するユーモアひとつとっても、小説家志望のワナビーには決して辿り着けない迫真のリアリティがある。そんな漢さんがついに小説を書いたのだ。僕はすぐに新宿の紀伊国屋書店で『北新宿2055』を購入し、ヴァイナルのテープを剥がしてバラバラの頁を1枚ずつめくっていった。
予想以上にちゃんとしたSF小説
『北新宿2055』にはいわゆる「地の文」が一切存在しない。全編が「とあるジャーナリストによる、2055年の北新宿で暮らすKという人物へのインタビュー」という体裁のダイアローグで、日本近代文学的な情景描写や心理描写は皆無。いくら漢さんが小説の専門家ではないとはいえ、この思い切りのよさにはいささか面食らった。
延々と続くジャーナリストとKの質疑応答。そこで次第に北新宿という地域の特殊性、さらに「鎖国ルール」という独自の風習の異常さが浮き彫りになっていくのだが、なによりもまずインタビュー中の険悪な雰囲気の演出が実にうまい。地の文をカットしたことで、むしろビーフ(論争)のリズム感、両者の思想の違いが前面に押し出されている。
ジャーナリストの善良でリベラルな価値観と、Kの前近代的な価値観の衝突。これが『北新宿2055』の対話の軸になっている。しかしKをはじめとした北新宿の人々は、国家が定める法律よりも地元愛や仲間意識といったものを重んじており、ある意味できわめて原理主義的なリベラリストでもある。このツイストに漢さんがどれくらい自覚的だったのかはわからないが、「にわかリベラル」な良識派が幅を利かせる昨今の風潮には、やはりうんざりすることが多いのかもしれない。
北新宿の「鎖国ルール」というのは、『ヒップホップ・ドリーム』で語られていた「MSCのルール」に調整を加えて広く街のレベルにまで敷衍したものだと考えられる。漢さんが追い求めたヒップホップ・マナーの終着点が、『北新宿2055』においてはディストピア的なものとして表現されているのは興味深い。ヒップホップにどっぷりと浸かりながらそれを鳥瞰できる作者の怜悧さが、安ピカレスクに堕しかねない題材に「文学」らしい噛みごたえをもたらしている。
また、北新宿を仕切る謎の組織の名前が黒塗りで潰されているのも面白い。同じラッパー、同じ黒塗りでもケンドリック・ラマーが来日したときのシリアスな「黒塗り広告」とはまるで別種の、どこかひょうきんで子供じみた手口だ。作品全体のトラッシュ感を何倍にも増幅させる『実話ナックルズ』的なお遊びを平然と採用する芯の太さに、心からのリスペクトを捧げずにはいられない。
『ヒップホップ・ドリーム』を読むまでもなく、少しググれば明らかにヤバい人だとわかる漢 a.k.a. GAMI。しかし『北新宿2055』はヤバい人が書いた小説のわりにはヤバくない、すぐれて現代的かつ理知的なSF作品だった。ちなみに「ヴァイナル文學選書」は見た目がやたらカッコいいので、部屋に飾るイキりオブジェとしてもオススメです。