とにかく情報が錯綜していた。
世界最大のプロレス団体「WWE」が来日して、6月29日・30日に東京・両国国技館大会を開催する。初めての「WWE」にワクワクしていた私ですが、「中邑真輔が犬に噛まれて負傷」という情報が直前になって飛び込んできた。ケガのせいで、ジェフ・ハーディとのUS王座戦が組まれていた6月27日(日本時間)も欠場したとのこと。
……犬?
「プロレスって台本なんでしょ?」という悪口は“遅い”
前代未聞の欠場理由を受けて、プロレス好きたちは一気に饒舌になりました。議論のテーマはただひとつ、「これはマジのケガなのか? それともストーリーなのか?」ということです。
プロレスとは、虚実の境界があいまいな世界です。プロレス好きというものは、「プロレスって全部台本なんでしょ?」と言われるとバチキレるが、「プロレスってどこまでが本当でどこまでがウソかわからない」と言われると、「そうなんだよね~」とニヤニヤしてしまう人間たちなのではないでしょうか。
いちプロレス好きとして、「台本なんでしょ?」という言葉に対して感じる怒りは、「そんなわけないだろ!」ではなく「わかってねーな!」に近いように思います。確かにどこかにウソは含まれているが、そのウソがどこからどこまでかは不明……というミステリアスさを楽しむ文化に対して、「台本なんでしょ?」という指摘はあまりにも遅れている。アイドル好きに「アイドルと結婚できるわけないのに」と言ってくる奴と同じタイプの、わかってねーな感です。
私はにわかプヲタなのでよくわかっていませんが、「底が丸見えの底なし沼」というのはプロレスが持つそういうややこしさを指した言葉という認識で合っていますか?
……そんな虚実入り交じる文化だからこそ、「犬に噛まれて負傷」というプロレス史上初の欠場理由を受けて、プロレス好きたちはまず演出を疑ったわけです。しかし、演出だとしても、何をどうするための演出なの!? 犬って奇抜すぎない? 中邑が犬をやたら怖がるキャラクターになるのではないか……何のために!? 狂犬病で凶暴になった体で戻ってくるんじゃないか……その設定、どこかに怒られそうじゃない!?
底なし沼どころか最初からただの水たまりだった
普通の報道番組でも「中邑負傷」が取り上げられて、大会前日の夜には、さすがにプロレス好きたちも「えっ、これマジのやつなの?」と思い始めてきました。しかし、プロレスのややこしさを知らない番組スタッフが真に受けてニュース化してしまった可能性も残されている。もうなにが正しいのかわからない。
一緒に「WWE」を見に行く約束をしていた父親は、わざわざニューヨークから成田までのフライト時間を調べて、「この時間帯に欠場の発表がないということは、犬云々はストーリーだと思う」と推察していました。ミステリ小説をよく読む人は目の付け所が違うなと、娘の私は感心しました。
そして迎えた大会当日。松葉杖をついた中邑がリングに上ったときも、私は「ヨロヨロ歩いているのも逆に演技っぽいな」と呑気に考えていました。だから、直後に中邑欠場が発表されたとき、衝撃を受けました。
「犬に噛まれてケガって、完全にマジのやつだったの!?」と両国国技館の観客の心がひとつになった瞬間でした。
本当に中邑の試合見られないの!? と大変ショックではありましたが、なんだか終わってみれば、「このケガはマジのやつか、どうか」と一生懸命考えていた時間も大変楽しかった。「底が丸見えの底なし沼」どころか、最初から底が見えているただの水たまりを、頭でっかちなオタクたちが「これは水たまりに見えて実は底なし沼なのでは……」と深読みしてドツボにはまっていく滑稽さも、またプロレス。
中邑欠場によって、逆にプロレスという文化の深淵に少し触れたような気さえするのでした。とりあえず中邑選手、早くケガ治してね。