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“かわいらしさ”の奥に宿る思慮深さ――衿沢世衣子『ベランダは難攻不落のラ・フランス』

画像はAmazonより

若者はみな悲しいし、衿沢世衣子の描く人物はみなかわいい。いつから、どの程度かわいかったか、という話になるとあまり自信がないけれど、少なくともシンプルノットローファーの女子高の生徒たちは相当かわいい。ギャルもオタクも、痩身のシネフィル・チヒロさんもドスドスと音を立てて走る文芸部のテラちゃんも、全員がもれなくかわいい。僕は写真部のサメちゃんが特に好きだ。

別に女子高生に限った話ではなく、たとえばSatoShioの佐藤や塩田にも成人男性らしからぬ幼児性やダメさがあって、僕からすればそれなりに愛らしい。ちづかマップに登場するおじいちゃんでさえ、かわいくない、と断言できるほどかわいくないわけではない。うちのクラスの女子がヤバいに至っては、コンセプトからして絶対にかわいいに決まっており、実際にちゃんとかわいいのだから恐れ入る。

個人的な好みで言えば、衿沢世衣子作品のかわいさの頂点は長嶋有漫画化計画におけるぼくは落ち着きがないの能見さんだ。とにかくマジでめっちゃかわいい。椅子に座ってくるりと回転する場面など、元阪神のマット・マートンでなくても思わず「ノウミサン、アイシテル!」とお立ち台で叫びたくなってしまうほどだ。ハレルヤ!

“萌え”からいくらかだけ離れて

ところで、ベランダは難攻不落のラ・フランスの話である。七五調の書名がいい。短編のタイトルをつなげただけとはいえ、衿沢世衣子のつかみどころのない奔放な想像力を的確に表現しているという意味において、これ以上の名前はないように思える。

都合8つの「CONTENTS」によって成り立つこの短編集は、題材はもちろん、初出の時期も媒体もバラバラだ。今、こういった短編集らしい短編集はどれくらい出版されているのだろう。10年くらい前は、もっと多くの短編集が出ていた――そしてすべての作品を、いわゆる“気鋭の漫画家”が手がけていた――ような気もする。出版不況が謳われて久しいこのご時世に、明確にテーマ性を押し出しているわけでもない短編集を、同時期に2冊も刊行できてしまう衿沢世衣子の稀有な反時代性……などと書いては逆に失礼か。

閑話休題。『ベランダは難攻不落のラ・フランス』の薄ぼんやりとしたオフビート感の中にあって、人物たちの“かわいらしさ”はなお際立っている。そして僕はこの“かわいらしさ”の正体を見極めたいと思う。

“萌え”という死語がある。あらかじめ定められたポルノの規範に収まってなんらかの媚態を示すことで付与される、きわめて制度的かつ従属的な価値を表現した言葉だ。現在では“尊い”をはじめとした別のスラングに置き換えられてはいるけれども、漫画やアニメといったポップカルチャーにおいて、規範的なポルノはいまだに猛威を振るっている。というよりも、もはや当たり前すぎて誰も“萌え”をいちいち指摘しないほど深く浸透している。

衿沢世衣子の描く人物の“かわいらしさ”も“萌え”の範疇に収まるのだろうか。たとえば「リトロリフレクター」。読み方によっては、この短編を“おねショタ”という類型的なポルノとして解釈することもできる。しかしやはりそれは誠実な読みではない。

たしかに天文台のお姉さん(名前すら出てこない!)はとてつもなくかわいいけれど、なんなら「ふにゃいっ!」とか言うけれど、それでも記号や規範に回収されない人間らしさの此岸に踏みとどまっている(ように僕には思える)。そして彼女の人間らしさを担保しているのは、どこかディレッタントじみた趣味への没頭ぶりではないだろうか。

『ベランダは難攻不落のラ・フランス』には、人々がなにごとかに熱中する姿がつとめて淡白に、なおかつ印象的に描かれている。「GIRL’S SURVIVAL KIT」のポーチに始まり、「夕べの音楽」のラジカセ、「ラ・フランス」の音楽とミサンガと蓄光シール、「難攻不落商店街」の女装、そして「ベランダ」のテレビゲーム……。思い返してみれば衿沢世衣子の漫画の登場人物は、恋愛などは二の次で趣味の世界にどっぷりと浸っているようなタイプが多かった。

『ちづかマップ』は言うに及ばず、『SatoShio』にちらりと登場する純文学が好きな書店員の女性もそうだし、なんなら『おかえりピアニカ』に収録された「ファミリー・アフェア」(原作:よしもとよしとも)のスライ・ストーンを偏愛する少年なんてディレッタントそのものだ。彼女や彼はそれぞれの趣味を愛することによって、すぐれて個別的かつ人間的な思慮深さを獲得している。『シンプルノットローファー』の巻末に添えられた、情報量が異常に少ない各人物のプロフィールに「今、好きなこと」という項目があるのは決して偶然ではない。

大きな瞳の美少女を衒いなく描いてきた衿沢世衣子が、“萌え”的なサムシングと一定の距離を保ち続けられている理由、そして性別や年齢や外見に依拠しない“かわいらしさ”を表現できている理由は、およそそんなところにあるのではないかと僕は考えている。まあ、アニメ『化物語』のエンドカードを提供したときは不意打ちすぎてドキリとしたけれど……。でも、あれもすごくいい絵でしたね。僕は普通に萌えました。

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