ウルグアイとブラジルが姿を消した。南米勢の全滅、そして欧州勢の躍進。この結果に、エディンソン・カバーニとカゼミーロの不在が影響したことは間違いない。ピッチに存在しないことによってむしろ存在感が高まる選手のことを「キープレイヤー」と定義していいのなら、2人は間違いなく両チームのキープレイヤーだった。
ウルグアイの場合、カバーニがいてもフランスに勝つのは難しかったかもしれない。しかしブラジル対ベルギーの試合を見ている間は、ないものねだりを承知で「カゼミーロがいれば……」と考えてしまう場面が大なり小なり存在した。1点目のオウンゴールが代役のフェルナンジーニョによってもたらされた時点で、ブラジルの敗退を予感したのは僕だけではないはずだ。
悲しくてやりきれない
それはフランスが2対0でリードした、88分から89分にかけてのできごとだった。ウルグアイのホセ・ヒメネスがポール・ポグバを倒して、フランスにフリーキックが与えられる。ゴールのほぼ正面、距離は30メートルくらいだろうか。キッカーはアントワーヌ・グリーズマン。追加点を阻むべく壁に入ったヒメネスは目頭を押さえて、くしゃくしゃの顔でアトレティコ・マドリードのチームメイトであるグリーズマンを見つめた。
ヒメネスは泣いていた。
グリーズマンはグリーズマンで、なんともいえない表情を浮かべていた。ゴールを狙うために集中しなければいけないが、失意にまみれた友人を目の前にして同情と困惑を隠しきれない。そんな顔だ。
グリーズマンがウルグアイの人と文化を愛していることはよく知られている。キャリアをスタートしたレアル・ソシエダ時代の監督であるマルティン・ラサルテにはフットボールのスキルと同時にマテ茶を仕込まれ、アトレティコでもディエゴ・ゴディンやヒメネスとは単なるチームメイト以上の深い関係を築いていた。彼らがW杯の出場権を獲得したときには、ウルグアイ代表のユニフォームを着てマドリード・バラハス空港まで出迎えにいったほどだ。そのときも、片手には愛飲するマテ茶用の茶器と水筒を抱えていた。
ゴディンに至っては、グリーズマンの愛娘・ミア(Mia)の名付け親にまでなっている。まさにマイメンの中のマイメン。そんなグリーズマンの「僕の半分はウルグアイ人」という発言に噛み付いたのがウルグアイのエース、ルイス・スアレスだった。
「アントワーヌは自分のことをウルグアイ人だと感じると言うけれど、彼はフランス人だ。彼にはウルグアイ人の感覚はわからない」
ポリティカル・コレクトネス的には極めて微妙な発言だが、スアレスにしてみれば自分の素直な気持ちを口にしただけだろう。あるいは、バルセロナに移籍する素振りを見せ続けて結局アトレティコに残留したグリーズマンに対して、ちょっとした苛立ちを覚えていた可能性もある。そんな具合に、さまざまな人間のさまざまな感情がこんがらがった状態で、フランス対ウルグアイの一戦は始まった。
この試合で、グリーズマンは1ゴール1アシストを記録してマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。「よりにもよって」なのか「必然的に」なのかは意見が分かれるところだろうが、とにかく彼の活躍でフランスが2対0でリードしたまま、問題の88分から89分を迎えた。ヒメネスが泣いている。61分にグリーズマンがゴールを決めた直後、中継のカメラに抜かれたウルグアイ人の少年と同じくらい、はっきりとした涙だ。
話は前後するが、まさにその少年を泣かせたプレーが、この試合に絡みついた複雑な感情を象徴していたように思う。ほぼ無回転に近いブレ球でフェルナンド・ムスレラのファンブルを誘って決定的な2点目を奪ったとき、グリーズマンはいつものようには喜ばなかった。その理由について、試合後のインタビューでこう語っている。
「サッカーの良いことも悪いことも、ウルグアイ人から教わった。僕はウルグアイ代表とウルグアイの友人たちをとてもリスペクトしている。だからゴール後のセレブレーションは行わなかった」
『フォートナイト』というゲームの踊りを模した奇妙なゴールセレブレーションは、たしかにこの雰囲気には相応しくないかもしれない。しかしそんなグリーズマンの気遣いも空しく、ウルグアイ人の少年は彼のシュートで号泣し、敗北を確信したヒメネスも試合中に涙を流した。グリーズマンはそのことで動揺したかもしれないし、しなかったかもしれない。いずれにしても、30メートルのフリーキックはクロスバーの上に外れていき、試合はそのまま2対0で終了した。
青年は荒野をめざす
イギリスのテレビ局で解説を務めていたガリー・ネヴィルは、試合が終わる前に涙を流したヒメネスに対して厳しいコメントを残している。
「感情と情熱には大賛成だが、これは恥ずかしい」
元々、ヒメネスは泣き虫な選手だという話もある。アトレティコでは自身のミスで勝ち点を失った試合後に悔し涙を流し、フェルナンド・トーレスが脳震盪で病院に運ばれたときも泣いている。感情の振り幅が大きいのだろう。それは一流のアスリートにとって決して悪くないパーソナリティーだし、ネビルが言うほど恥ずかしいとも思わない。それだけこの試合に賭けていたということなのだから。
しかし、どんなに絶望的な状況であったとしても、やはり試合の途中に涙を流してしまうのは少し違う気もする。最後まで諦めないのがウルグアイを象徴する「ガーラ・チャルーア」の精神だ、という話を真に受けていたわけではないが……。ヒメネスの涙から、試合全体を包んでいた熱のようなものが引いていくのを感じた。観戦者のエゴでしかないかもしれないが、もしヒメネスが試合終了後まで涙をこらえることができていれば、この準々決勝はもう少し、ほんの少しだけ壮観なゲームとして人々の記憶に残ったのではないだろうか。
ヒメネスは若く、才能のあるディフェンダーだ。成長の余地もリベンジのチャンスも、まだまだいくらでも残されている。いつか彼がゴディンとは少しテイストの違う、涙もろいリーダーとしてチームを引っ張る姿を見ることができれば、それはそれで美しい話かもしれない。