HADO 2018 CLIMAX SEASON閉幕

【野球愛の無駄遣い】吉村裕基様。横浜DeNAはお待ちしています

photo by shi.k

浅村は楽天で決まりですか。炭谷も巨人で決まりそう。丸は? 西が横浜来てくれたら泣いて喜ぶんだけどなあ。

ソフトバンクの2年連続日本一でプロ野球2018年シーズンが幕を閉じて早半月。話題はFAを中心とした移籍市場に移っているが、大物FA選手よりも僕が気になっている選手がいる。そう、ソフトバンクから戦力外通告を受けた吉村裕基外野手だ。

吉村を古巣横浜が獲得調査?

日本一の歓喜も冷めやらぬ11月4日、ソフトバンクが引退も含め実に12人もの選手に戦力外通告を行った。毎年のことだが、プロの世界は厳しい。その中でも、一度も力を発揮することなく去らなければならない選手に加えて今年は五十嵐亮太、摂津正、寺原隼人、吉村裕基、城所龍磨という功労者、実力者が名前を連ねていたことが話題となった。

ほどなくして、横浜DeNAが寺原と吉村の獲得調査に乗り出すという報道が出る。言うまでもなく横浜は寺原と吉村の古巣。古巣だから必要とか、古巣だから有利ということはまったくないが(むしろ横浜の場合はわだかまりがありそうな選手も多くて不利なことも多いとさえ思うが)、ファンとしては馴染みのある顔が戻ってくれるのは嬉しい。在籍当時に思い入れのあった選手ならなおさらだ。

僕にとって吉村裕基がまさにそれだった。暗黒時代の話はもうしたくないので割愛するが、歯が抜けていくように中心選手が一人、また一人と移籍するようになる少し前、横浜黄金時代の到来を夢見ていた時期があった。それは、長らく横浜にいなかった日本人の長距離砲が現れたからだ。それも何人も同時に。

村田、多村、内川、吉村という夢のカルテット結成

最初に僕らを熱くしたのは、村田修一だった。それまでも、横浜には鈴木尚典という強打者はいた。マシンガン打線でも中心を担った好打者だが、首位打者も獲ったその打棒はどちらかというと巧打者。どうしても右の大砲への憧れはくすぶってしまう。そんなとき現れたのが村田だ。日大から鳴り物入りで横浜ベイスターズに入団すると、ルーキーイヤーの2003年に25ホームラン。打率は.224と当時のレギュラー選手としてはびっくりするくらい低かったが、そんなことどうでも良かった。新人での25本はプロ野球歴代でも6番目の好記録。田代富雄以来20年近く待ちわびた長打力のある右打者は、2000年代に入り弱体化した横浜を再び常勝チームへと導いてくれる存在に違いないと信じていた。

ほぼ同時に、村田の3歳上の多村仁志も台頭した。2003年に18本のホームランを打った走攻守すべてを兼ね備えた強打者は、翌2004年になんと40ホームラン。日本人としては当時球団最多記録だ。しかも打率3割に100打点、盗塁も10記録している。横浜にとどまらず、日本球界を代表するスーパースターになるに違いないとポジりまくったものだ。

2004年は、内川聖一も打率.287、17ホームランを打っている。イップスに苦しみ守備面での不安があったため完全にバケモノとして覚醒するのは2008年を待たなければならないが、当時から小技もきくくせに何故か長打力もある、不思議な魅力のあるバッターだった。

そんな村田、多村、内川に続き現れたのが、村田と同期入団にして高校の後輩でもある吉村だったのだ。東福岡高校から入団後、3年間じっくり下積みすると、2006年に打率.311、26ホームランと開花。翌2007年も24ホームランに85打点。その翌年2008年は34ホームランに91打点を挙げ、押しも押されもせぬ横浜の大砲へと成長した。

その2008年は吉村の.260、34本、91打点に加え、内川が右打者の日本記録となる.378、14本、67打点。村田は.323に、2年連続ホームラン王となる46本、114打点。内川と村田がすごすぎて吉村が全く目立たなかったが、まだ若く(2008年は吉村24歳、内川26歳、村田28歳の年)、走力もあり、モンチッチの愛称で親しまれるくらい愛嬌もあった吉村は確実に横浜の未来だった。まあ、それでも首位から36.5ゲーム差のぶっちぎりの最下位だったんだけどね。

みんな横浜の選手なんだぜ、って思ったよね

プロの世界とは厳しいものだ。すべての選手が順風満帆の選手生活を送れるわけではなく、怪我や不振に苦しむ選手も多い。監督の意向や球団の雰囲気にも大きく影響されることもあるだろう。そしてまた、移籍がつきものの世界でもある。2003年から2006年に同時に在籍した横浜が誇る右の強打者たちは、多村、内川、村田、吉村と後を追うように横浜から去っていった。

ソフトバンクで内川が、巨人で村田が活躍するのを見るたびに、誰も横浜を出ていかなかったやさしい世界を夢想したものだ。内川、吉村は今も現役、村田は2017年、多村も2015年まで現役を続けた。一方、筒香嘉智が入団したのが2010年、宮崎敏郎、梶谷隆幸が入団したのが2013年。つまり、吉村、内川、村田、多村、筒香、宮崎、梶谷が同時に横浜に在籍した可能性だって十分あったのだ。外野手ばっかになっちゃうけど。

この7人が同時に現役だったのは2013年から2015年。2013年で見ると、吉村29歳、内川31歳、村田33歳、多村36歳、筒香22歳、宮崎25歳、梶谷25歳。やべえ、オラわくわくすっぞ。ちなみに2013年には多村が横浜に戻ってきている。もう、どうせなら全員集合しちゃえばよかったのに。でも、そんなのは無理だったよね。だからこそ、吉村にだけでも戻ってきてほしいのだ。戦力としてどうかなんてどうでもいい。だいたい、今年の代打成功率は異常に低かったんだから、吉村が右の代打として存在感を発揮しないとも限らないじゃないか。

話は変わるけど、ふと思い立って現監督であるアレックス・ラミレスの現役時代を調べてみると、なんと2013年はラミレスまで現役選手だった。それも、横浜で。2013年は、出戻りの多村に、筒香、1年目の宮崎・梶谷、そして現役最終年のラミレスが同時に横浜に在籍していたんですよ。

そのときラミレス39歳。で、監督始めたのが42歳。今、44歳。……。……まだそんな年齢なんだ……。なんかずいぶん若くね? そうそう、ラミレスの年齢といえば諸説…って、おっと誰か来たy

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