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【野球愛の無駄遣い】「もう一度松坂と対戦したい」という後藤武敏の夢、叶わず。

photo by ぽこ太郎

また一人、松坂世代がユニフォームを脱いだ。横浜DeNAベイスターズ、G後藤武敏。

プロ14年間で通算打率.255、ホームラン52本というのは、ドラフト自由枠で西武に入団し新人ながら開幕戦で4番を任されたバッターにしては少々寂しい成績かもしれない。

高校時代は主力打者として松坂大輔とともに横浜高校の春夏連覇に貢献。その後進学した法政大学では東京六大学2年春のリーグ戦で三冠王を獲得している。プロ入り後はなかなかチャンスを生かせず、思うような活躍はできなかったが、横浜移籍後は勝負強いバッティングで代打の切り札として存在感を発揮することも多かった。

しかし近年は徐々に出番も少なくなっており、今年はとうとう出番ゼロ。9月、引退を発表した。

「松坂と対戦したい」

横浜高校でチームメートだった松坂大輔のことは、同じプロ野球の道を歩む身でありながらも特別な存在として意識していた。松坂とは高校時代に一度だけ練習で真剣勝負をしたことがあるそうだが、そのときはストレートにまったく歯が立たず1球もかすりもしなかったという。プロに進んでからも、後藤は松坂のいる西武に入団し同僚となったため、公式戦で対戦する機会はなかった。その後松坂はメジャーに挑戦。後藤は横浜DeNAに移籍した。

昨年オフ、松坂が後藤と同じリーグの中日へ移籍してきた。そして今シーズン、鮮やかな復活劇を見せる。松坂と対戦できる可能性が生まれたわけだ。1軍からお呼びがかからなくなっていた後藤がこれに発奮しないはずはなく、「公式戦で松坂と対戦する」ことをモチベーションにすると明言。もう一度松坂と真剣勝負をすることを夢見、2軍でバットを振り続けた。

今シーズン、松坂は2度、横浜戦に先発している。しかし、残念ながら後藤の出番はなかった。1年間出場機会のなかった後藤は結局、引退を決意する。

その後、9月22日に行われる横浜スタジアムでの今季最終戦を、後藤の引退試合とするとの発表があった。相手は中日。これ以上無いシチュエーションに、松坂の登板を期待した人も多いだろう。否、すべての人が、後藤の打席限定で松坂がマウンドに登ると思っていたはずだ。

夢、叶わず

果たして、9月22日の試合に松坂が登板することはなかった。なんなら、松坂は1軍にすらいなかった。前回登板で先発し勝利した後、登録を外れていたのだ。後藤は7回、中日先発笠原を相手に豪快なフルスイングで三振し、現役最後の打席を終えた。

まったく運が悪かったというほかない。今シーズンのセ・リーグは3位から最下位までが稀に見る混戦。クライマックスシリーズ進出をかけて、シーズンの最後まで息の抜けない試合が続いている。連戦も多く、特に投手のやりくりに関しては1人だって無駄に使いたくない状況だというのも理解できる。よそのチームである後藤の引退試合のためだけに、貴重な投手枠を使うわけにはいかない。

ただ。ここは、公式戦での対戦という両者の夢をなんとか叶えてあげてほしかった。98年に社会現象にまでなった横浜高校の主力が、20年間プロ野球で頑張り続けて、迎えた現役最後の日。20年間夢に見続けてきた、たった1度の勝負を、叶えさせてあげることはできなかったか。

横浜高校OBの結びつきは強い。2013年に行われた同じ松坂世代で横浜高校出身の小池正晃の引退試合では、チームメートの後藤はベンチで泣きじゃくっていた。その日、小池は先発出場すると、引退試合にもかかわらず2本のホームランを打つという離れ業をやってのける。

それをベンチから見ながら、小池本人以上に泣いていたのが後藤だった。ファンの目にはその後藤の姿がこびりついている。だからこそ、後藤にも最後の試合で夢を叶えさせてあげたかった。松坂からホームランを打つ。そんな期待を一身に受けながら、最後のバッターボックスに立たせてあげたかった。シーズンの佳境だったかもしれないが、なんとも無念というほかない。

松坂の涙に救われた

しかし、そこは松坂。自分は1軍登録されておらず、当然ベンチ入りメンバーにも入っていないにもかかわらず、横浜遠征に帯同し、メンバー外ながらこの日のベンチに姿を見せた。そして、後藤の最後の打席をベンチから見届けてくれた。引退セレモニーでは、花束を渡す役を現コーチである小池とともに務めてくれた。

そして。小池のときの後藤のように、松坂は後藤のために泣きじゃくってくれた。さらには、チームの垣根を越えて、DeNAの選手による後藤の胴上げにも混ざってくれた。中日ナインがグラウンドから去った後も、一人残り続けてくれた松坂の姿に、見ているこちらは涙腺が崩壊しっぱなしだった。やはり、スター揃いのプロ野球界にあっても、松坂大輔と松坂世代は特別な存在なのだった。

ところで。

後藤を語るうえで忘れてはいけないのが“ゴメス”という愛称だ。ひょんなことから「ごめんす」が転じたものだが、風貌に合ってることと本人が気に入ったこともあり愛称として定着した。後藤はこれを、正式な登録名にも取り入れるというアホなことをしており、さらに、その登録名を毎年ちょっとずつ変えるという細かいネタまで披露していたことをご存知だろうか。

2014年までは本名の後藤武敏で登録していたものを、2015年に「後藤 武敏 G.(ごとう たけとし ごめす)」に変更すると、2016年に「後藤 G 武敏(ごとう ごめす たけとし)」、2017年に「G. 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)、そして2018年が「G 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)」。

そんなゴメスが大好きだった。

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