HADO 2019 SPRING SEASON開幕!

僕と京都とFebbと谷崎(中)

Amazonより

2018年2月15日、Febbは亡くなった。24歳だった。

FebbのThe Seasonは本当に素晴らしいアルバムだった。僕は故D.Lが絶賛している記事を目にしてから買ったはず(2014年の末くらいだった気がする)だから、決して耳が早かったわけではない。それでも、アルバムを3〜4回通しで聞いてからは、Febbの作る音楽をずっと追っていこうと決めていた。

遡って彼が所属するユニット・Fla$hBackSの『FL$8KS』、KID FRESINOの『HORSEMAN’S SCHEME』、さらにjjjの『Yacht Club』もチェックした。噂に違わず、Fla$hBackSの3人は全員が天才だった。

しかしそれぞれの1枚目のソロアルバムの時点では、やはり『The Season』の骨の太さが群を抜いていたように思う。どんな魔法によるものかわからないが、Febbは19歳にして不穏さを結晶化したような異形の音楽を作り出していた。

僕はイベントにもめったに行かないし、音源もよっぽど話題になるか人に教えてもらうまでロクにチェックしない不真面目なHIP HOPリスナーだが、Febbはそんな人間にも一発で「ヤバい」と思わせる才能を持っていた。つまるところ、天才の中の天才だった。

2018年2月16日(金)

京都リッチホテルをチェックアウトし、大荷物を背負って近くのバス停に向かった。まず南禅寺と禅林寺(永観堂)に行き、哲学の道を銀閣寺まで歩くつもりだった。途中、法然院の谷崎潤一郎の墓にも寄ろうと思っていた。

昔から寺社仏閣にはまったく興味がない。僕は「平等院鳳凰堂をつぶして駐車場を作ればいい」と書いた坂口安吾をリスペクトしているタイプの人間だ。神も仏も、幽霊も死後の世界も信じていない。だから寺めぐりも墓参りも本当はバカバカしいのだが、結局、京都でやることなんてそれくらいしかない。他になにかあるならぜひ教えてほしい。

南禅寺は3回目だった。時間はいくらでもあるのでゆっくりと見て回ったが、南禅寺は南禅寺でしかない。Febbの別名義「Young Mason」の名付け親であるNIPPSが言っていたように、言葉は言葉だし、神は神だ。だから南禅寺は南禅寺である。ただ、琵琶湖疏水の水路閣はロマンティックで悪くなかった。スマートフォンで何枚も風景の写真を撮った。平昌ではフィギュアスケート男子シングルのショートプログラムが行われていた。羽生結弦が1位になったことを禅林寺への移動中に知った。

禅林寺では寺そのものよりも、隣接した永観堂幼稚園の子どもたちがはしゃぐ声に癒された。2010年の秋に1人で京都に行ったとき、二条御所の近くで天理教のハッピを着た少年が絶叫しながら自転車を漕ぐ姿を見たことを思い出した。あの少年はもう成人しているのだろうか。幸せにはなれたのだろうか。ほとんど関係のない、でも少しだけ関係があるようなできごとを、どうしてこのタイミングで思い出すのか不思議だった。

哲学の道を歩きながら『The Season』を聞いた。煙たいトラックと剣呑かつ断片的なリリックが、意外なことに穏やかな風景とマッチした。何度聞いてもFebbのラップはべらぼうにいい。HIP HOPのど真ん中、正中線五段突きだ。

法然院の墓地には掃除のおじさんと僕のほかに誰もいなかった。生きている人間よりも、土に埋まった死人の方が圧倒的に多かった。まず九鬼周造の墓を見つけた。風雨に晒されてボロボロになった岩波文庫の『「いき」の構造』が置いてあった。九鬼周造の墓に九鬼周造の本を飾ってどうするのだろう。シュールなことをする人もいるものだ、と思った。

小さな蕾をつけた枝垂れ桜の下に「寂」と掘られた立派な墓石があった。谷崎の墓だ。僕は10代のころから谷崎が好きだった。山田風太郎の『同日同刻』によると、谷崎は太平洋戦争の開戦時に「マグロのトロのすごいやつ」を炙ったものを食べており、終戦前夜には永井荷風と2人ですき焼きをつついていたらしい。そのエピソードだけで信用に値すると思った。うろ覚えだが、谷崎は死の前夜も好物の鱧を食べていい気分になっていたそうだ。そんな谷崎のどのあたりが「寂」なのか、僕にはまったくわからない。

とにもかくにも『細雪』は永遠のクラシックだ。『少将滋幹の母』も『瘋癲老人日記』も、短編なら「過酸化マンガン水の夢」も素晴らしい。初期と後期で谷崎の作風は大きく変わっており、僕は晩年の作品が好きだが、どこか不衛生で下品なところだけは一貫している。Febbはラリー・クラークとハーモニー・コリンの『KIDS』が好きだったそうだが、雑に考えれば谷崎も似たようなものだと思う。いや、いくらなんでも雑すぎるかもしれない。

墓地で休憩しながら、昨晩LINEでFebbの死を教えてくれた友人と電話をした。月並みな言葉しか出てこなかったが、僕たちは僕たちなりの方法で天才の死を悼んだ。人間は死ぬ。必ず死ぬ。谷崎も九鬼周造も河上肇も死んで、このあたりの土の下に骨が埋まっている。早いか遅いかの違いだけだ。ただ、早いか遅いかの違いだけだからこそ早逝は悲しい。わかりきったことだが、僕たちにはそれを再確認する時間が必要だった。

(下)に続く。

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