1998年、野球界は横浜フィーバーで沸いた。プロ野球では、権藤博監督率いる横浜ベイスターズがリーグを席巻すると、38年ぶりの日本一を達成。石井琢朗、鈴木尚典、ロバート・ローズらを擁するマシンガン打線は今だに語り草となっているし、守護神・佐々木主浩の活躍は「ハマの大魔神」というワードがこの年の新語流行語大賞を受賞するなど社会現象と言ってもよかった。
そして高校野球では、横浜高校が春のセンバツと夏の甲子園を連覇。甲子園だけでなく、神宮大会や国体でも優勝し四冠を達成するなどこの年の横浜高校は文字通り無敵だった。
その中心にいたのが平成の怪物・松坂大輔だ。特に夏の甲子園で見せた、準々決勝の延長17回250球完投勝利と決勝でのノーヒットノーランは、なんかもう凄すぎて「漫画かな?」という感想しか出てこないほどだった。
だから、横浜生まれ横浜育ちシウマイ好きはだいたい友達の生粋のハマッ子にして大洋時代からのベイスターズファンである僕は、その年のドラフトで松坂が横浜ベイスターズに入団する以外のシナリオは考えていなかった。
いや、ファンでない人にとっても、松坂がベイスターズに入るのが一番美しい形だったはずだ。松坂大輔、相思相愛のベイスターズにドラフト1位入団。最高の形で横浜イヤーが幕を閉じるはずだった。
まあ、現実はどうだったかは言うまでもないだろう。ドラフト直後こそ意中の球団は横浜ベイスターズだったと未練を見せた松坂だが、その後は普通にシュッと埼玉の松坂になり、あっという間にJAPANの松坂になり、鳴り物入りでメジャーの松坂になった。えらい高嶺の花になってしまった。
横浜なんて結局、一度も付き合ってないのだから、元カノですらない。松坂君て昔私のこと好きだったのよなんて口に出すほうがかっこ悪いので、ベイスターズファンは松坂への興味をおくびにも出さないようにしてきた。そしていつしか、本当に興味を失っていった。
そんな松坂が、かつての輝きを失い、その後面倒を見てくれたソフトバンクまでクビになり行き場を失った。もう一花咲かせたいなんて大それたことは考えてないだろうが、まだ完全燃焼したとも思えない松坂は、どこでもいいと移籍先を探した。
しかし、この3年間まったく投げられていないのは皆知っている。受け入れる球団はなかなか決まらない。引退もちらつき始める中、ようやく中日が手を挙げドラゴンズ松坂が誕生した。もちろん、年俸は格安。後進の指導などの役割も期待されているかもしれないが、結局は現中日監督が松坂の西武時代のコーチだったことで、男気から引退の花道を用意した格好だ。
だったら。
それだったら、横浜DeNAが手を差し伸べても良かったのではないか。
正直、戦力としてはゼロに近いかもしれない。ソフトバンクの3年間、給料泥棒と叩かれ続けたためアンチも多いだろう。それでも、松坂は怪物なのだ。これまでの活躍だけでレジェンド当確。功績の輝きが失われるわけではない。
松坂が、20年の時を経て横浜に入団する。そんな物語のためだけに、迎え入れても良かったのではないか。
今後、横浜にとってこんなに物語になる選手なんてそうそう現れないだろう。横浜・松坂が、まかり間違って復帰勝利でも挙げようものなら……なんて想像しただけで泣きそうになる。スポーツ紙全紙買う自信ある。
限りある枠を戦力として未知数すぎる選手には使えないというのは正論だ。でも、最近の横浜DeNAはかつての「功労者の扱いが下手」「横浜ゆかりの選手をポンポン放出しちゃう」「OBと関係が悪い」という悪印象を払拭し、地元横浜色を全面に押し出した横浜に愛される球団に変わったのではなかったか。「I LOVE YOKOHAMA~!!」と選手、ファンで声を合わせて叫んでるではないか。
であるならなおさら、横浜のユニフォームを着た松坂大輔という20年越しのアイコンを実現して欲しかった。そのうえ、今の横浜には松坂大輔の横浜高校時代のチームメイトである後藤武敏も小池正晃もいる。松坂の復活が成らなかったとしても、横浜のユニフォームで最後を迎えるだけで意味はあったのではないか。
いろんな可能性が潰えたのかと思うと、残念でならない。