いとわズ

漫画『ストレンジ』を読んで、まだ見ぬ“誰か”に会いたい気持ち

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約4分

今年は人に会おう、と思っています。可能な限り1人でいたいタイプだけれど、長い人生、数年くらいは頑張ってみてもいいじゃない。

つゆきゆるこによる漫画『ストレンジ』(リイド社)を読んで、その思いはさらに強まったのでした。

交わらないはずだった、男6組12人

女装バーで働くゲイと高校生、おっとりとせっかちの男子高校生、サラリーマンとハワイの青年、孤独な図書委員と問題児、国語教師と愛犬家のヤンキー、アニメ好きの伯父と生意気な甥。『ストレンジ』は、男6組12人を描いたオムニバス・ストーリーです。

出会いによって、登場人物たちの中には確実に何か変化が起きている。しかし、具体的に何が変わったのかは、はっきり言いづらい。それでも彼らは、何か少し視界が開けたような、世界のきらめきに少し触れられたような感覚を覚えているのではないでしょうか。有意義とか無意義とか、ためになるとかならないとか、その間にある淡さのようなものを瑞々しい筆致で描写しています。

ところで、なぜ私が「人と会おう」と思ったのかというと、なんとなく暮らしのすべてが“予想できる範囲”に収まってしまっているなぁと感じたから。確かに映画や小説、舞台はいろいろなことを感じさせてくれるし、変わったお店に行って、「世の中いろいろあるなぁ」と思うのも楽しい。でも、感情の揺れ動きの上限も下限もなんとなく把握できてしまっている感覚がある。

その点、人間はむちゃくちゃだよな。話している最中にいきなり刺される可能性もあるわけだし。「最悪死ぬかも」と思いながら接することができるものなんて、あまり存在しませんよ。

先日、飲みの席で「どうしても誰かと予定を組むとき、『こいつと2時間話すのと、家で2時間の映画のDVDを見るのと、どちらが得るものが多いだろう?』と考えてしまうので、結局“会わない”という選択をとりがち」という話をしたら、「誰かと2時間会う時間の方がはるかにリアルじゃん」とあっさり言われて、まったくその通りなんですよねーと、ぐうの音も出ませんでした。

対人関係において“損切り”が早すぎる

ウェス・アンダーソン監督による映画『ムーンライズ・キングダム』が好き。12歳の少女と少年の駆け落ちを描いた作品なのですが、少女が少年に対して結構なレベルで「それは言ったらダメでしょ……」という言葉をぶつけるシーンがあります。確かそのとき少年は、「君は間違っているけれど、僕は君のことが好きだよ」と返して、私は、「これが自分に足りない姿勢だよ!」と大変反省したのでした。

おそらく私は対人関係において“損切り”のタイミングが早すぎるのだと思います。一瞬でも「こいつ嫌だな」と感じたら、それ以上不快な思いをしないように、一気に距離をとってしまう。『ストレンジ』を読んでいても、「自分だったら2ページ目で『なんやこいつ』となって立ち去るな……」と感じる場面が多数。交わらない人間だからこそ、自分の知らないことを知っているはずなのに。

“恋バナ収集ユニット”桃山商事は、速水健朗による書籍『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』を引用した上で、食に限らずさまざまな価値観は、左翼(革新的)と右翼(保守的)に分類できると説きました。

参考 「恋愛左翼」と「恋愛右翼」あなたはどっち? あいまいな“相性”の正体

私はコミュニケーションに関してはド右翼かもしれない……。知らない人はよくわからないから、慣れ親しんだ人と会おうと判断しがち。もちろん、その考え方が一概に間違いだと言いたいわけではないけれど、やっぱり『ストレンジ』みたいな出会いもしてみたい!

そのためには踏み出さねば……と、とりあえず「飲みたい」とツイートをしている人たち(2回会った程度)に声をかけようかしらとドキドキしている日々です。

※ちなみに『ストレンジ』は、桃山商事の清田代表(@momoyama_radio)が推薦してくれました。ありがたや~。

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