いとわズ編集部の中の人の、見た聞いた買った食べた触った嗅いだetc…いろいろなものをレビューします。
いずれクロスレビューなんかもやる、…かも!
いや、やりたい!
「気持ちいいこと逃がすのもったいないじゃん」
小谷という女は、妖怪かよ……。
新田章による青春恋愛漫画『あそびあい』(全3巻)を読んで、私は戦慄した。そして、主人公である山下に対して、妖怪と恋愛するのは不可能だ、死ぬぞと念じた。
確かに物語中、山下は死にそうになっていたのでした。
『あそびあい』は、誰とでもセックスしてしまう女子高生・小谷と、彼女にマジで恋してしまった同級生・山下をめぐる漫画。
2人は肉体関係を結んでいるのだけれど、山下は小谷に“彼女”になってほしくて日々思い悩んでいる。
私が小谷を“妖怪”と呼んだのにはそれなりの理由がる。べつに小谷は山下を傷つけようとしているわけじゃない。
山下の友達と寝ようが、山下と出かけている最中に他のセフレとたまたま会ってプレゼントを受け取ろうが、セフレの家に突撃してきた山下に向かってメイド服姿で「すごくない? 部屋に木ィあるんだよ!」とはしゃごうが、心底悪気がない。
貧乏な家で育った小谷は、ひたすら“もったいない精神”にあふれているだけ。だから、「気持ちいいこと逃がすのもったいないじゃん」という考えのもと、セックスチャンスもしっかりキャッチします。
少なくとも恋愛においては、小谷は一般常識とはかけ離れた価値観で生きている。善悪の枠を超えているから、わかりあえない。だから妖怪!
妖怪との会話はかみ合わない
とにかく根底の価値観が違いすぎるので、山下と小谷の会話はズレまくる。
「いっぱいある『好き』の中で山下は1番の方だよ?」
「恋人相手に1番の方とかおかしいだろ!? 独占し合いたくなるもんだろフツウ!!」
「一緒にいるときは独占してるじゃん」
(中略)
「独占って束縛でしょ? それってお互い無理とか我慢しなきゃでさぁ 楽しくなくなっちゃうよ」
凄まじい女だ……とは思いますが、これらの小谷の言葉にしっかり反論できる人間がどれだけいるんでしょうか?
恋愛関係ってなんだったっけ……。読者も袋小路に陥ってきたとき、劇中でほんのりヒントのようなものが提示されます。
それは、小谷がお気に入りのセフレ“遠藤さん”の家に押し掛けた場面。独身サラリーマンである遠藤さんの家に小谷は泊まりたがるのですが、遠藤さんは「ボクにはボクの生活があるんで」と穏やかに拒否するのでした。
友達とはケンカしないのに
恋人とはケンカしまくるのなぜ問題
私の中で常々不思議な問題として、なぜ友人と恋人であそこまで衝突の頻度が変わるのか? というのがあります。友人なら絶交するかしないかレベルの大ゲンカなんて、長い付き合いで1回あるかないか程度なのに、恋人相手になると、毎週のように「もう別れよう!」ってなっちゃうカップルも少なくないでしょう。
人はなぜ恋人の欠点には異常にイライラしてしまうのかということを考えてみたところ、多かれ少なかれ、存在そのものの肯定を相手に求めているからではないかと思いました。
自分の存在を肯定されたいから、相手の存在も肯定したい。まるごと存在を肯定してあげたいのに、なんでお前食事のときに茶碗に手を添えないの? 殺すぞ。
友人だったら、付き合いの中で何かの折に「こいつ……!」と思う瞬間があっても、相手の存在に対して上手く心のカメラをズームバックさせたりピントを外したり、逆にめっちゃズームアップさせて「こいつはとにかく新宿の店に詳しい!」と1点の長所だけを見つめて、なんとかやりすごすことは可能。
でも恋人相手だと、何があろうとレンズは全体像をとらえたところで固定だし、バッキバキにピントを合わせたままだし。でも全体を把握できる視座にいるわりには、短所と長所はこの辺りで繋がっているみたいな部分は見なかったふりをしてしまうし。
多くの人は恋愛が絡むと頭が悪くなってしまいますが、それは恋愛に何か壮大なものを求めるからこそなのでしょう。
小谷よ、“人間”になってくれるな
『あそびあい』は、恋愛における“相手を変えたい”という気持ちのエゴに迫った作品でもあります。
私は、小谷の妖怪感に戦慄しつつも、小谷が突然“人間”になってしまったら、それはそれで今まで描いてきたものはなんだったのという感じがするだろうなとハラハラしながら作品を読んできたわけですが、最終的には小谷も山下も大きくは変わりません。
お互い日常を積み重ねて自然と変化していって、そうして育った自分たちが将来いい感じにしっくりくるかもね。
そんなふうに物語は終わるので、一見無責任なエンディングに見えるかもしれません。
しかし、「これは相手を尊重した選択だと言えるし、何より人間関係、とくに恋愛において“責任”なんてものを重視しようとしたら、地獄への門が開くから、これが一番爽やかな結末だワン!」って隣の犬がいってました。
他人を傷つけたり、傷つけられたりしないように、我々はなるべく優しい無責任さを手に入れていこうね。