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施川ユウキの『銀河の死なない子供たちへ』は僕を三井寿のような心境にさせた

Amazonより

施川ユウキの最新作『銀河の死なない子供たちへ』(電撃コミックスNEXT)を読んだ。生き生きとした感情が刻み込まれたキャラクターたちの瞳を見て、自分が陵南戦での三井寿以上に無駄な時間を過ごしてきたことをあらためて痛感した。

『週刊少年チャンピオン』に施川ユウキのデビュー作である『がんばれ酢めし疑獄!!』が掲載されて20年近くの歳月が流れ、陰気な子どもだった僕は冴えない大人になった。かつては人間の顔をちゃんと描くことさえできなかった――それでも、漫画は抜群に面白かった――施川ユウキは、いまや「目の芝居」で読者を感動させられる漫画家になっている。そういうものだ。

2001年の『週刊少年チャンピオン』

なにごともなく20世紀が終わり、僕は小学生から中学生になろうとしていた。毎週木曜日には、当時西国分寺駅前に存在したアップルマートというコンビニエンスストアでチャンピオンを立ち読みした。そのころのチャンピオンには、今もそうかもしれないが、他の少年誌とは一線を画した過剰さのようなものがあった。

『バキ』のベストバウトのひとつである花山薫対スペックが連載され、『ドカベン プロ野球編』では巨人の微笑三太郎が絶好調。『優駿の門』の続編『優駿の門GI』が始まり(とても陰鬱な話だった)、お色気漫画枠が『オヤマ! 菊之助』から『エイケン』に代替わりする、だいたいそんな時期だったと記憶している。

格闘、スポーツ、ヤンキー、エロといった要素を一通り網羅していたチャンピオンだったが、少なくとも僕の周りではジャンプやマガジン、サンデーに比べて読んでいるキッズは少なかった。全体的に、少年誌としては情念が強すぎるところがあったのかもしれない。そしてその情念はコロコロ派に対するボンボン派のそれのように、どこか薄暗いものでもあった。

そんな当時のチャンピオンだが、ギャグ漫画においては上記のメジャー3誌を圧倒していたと自身を持って断言できる。『浦安鉄筋家族』の浜岡賢次、『おやつ』のおおひなたごう、そして『がんばれ酢めし疑獄!!』の施川ユウキ。僕は陰気な子どもだったけれど、この3人が揃っていた時期のチャンピオンを読んでクスリとも笑わずにいられるほどシリアスではなかった。

「血」を克服した施川ユウキ

不条理と評されることの多いギャグ漫画『がんばれ酢めし疑獄!!』と、不死の姉弟をモチーフにしたポスト・アポカリプスものである最新作『銀河の死なない子供たちへ』は、一見してあまり関係のない作品のようにも思える。しかし、仮に施川ユウキのキャリアの集大成として『銀河の死なない子供たちへ』を位置付けようとするのなら、初期から現在までの「血」の使い方の変化、あるいは「無血の期間」について言及しないわけにはいかない。

『がんばれ酢めし疑獄!!』では、たびたび突発的な暴力が描かれる。拳骨による殴打を筆頭に、ボトルシップを使った撲殺と返り血、大砲が亀の甲羅に跳弾したことによる首と胴体の分離、トラックでの轢殺、千切れた首を使って書いた「ゴメン」という血文字、「お腹痛い!」のかけ声で一斉に腹から出血して絶命する忠臣蔵の斬新な解釈……。画力が低いことを自称する施川ユウキだが、こと血の描写に関してはごく初期から印象的なものを数多く生み出していた。

次作の『サナギさん』ではタカシくんがサダハルくんを殴打する場面こそ定番化していたものの、出血はほぼなし。『サナギさん』後の施川ユウキの作品群はキャラクターたちが親密な関係性の中でフェティッシュな言葉遊びに淫するものが多くなり、血(暴力や死)が直接的に描かれることはほとんどなくなった。2014年には『オンノジ』『鬱ごはん』『バーナード嬢曰く。』の3作品で第18回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。「無血」状態で順調にキャリアを重ねていった。

しかし2016年の『ヨルとネル』において、ついに出血が解禁される。同作では、類似したシチュエーションの『オンノジ』に漂っていたぼんやりとした不穏さを、厳密かつ徹底的に描き切っている。しかも『ヨルとネル』には、まるで『がんばれ酢めし疑獄!!』に先祖返りでもしたかのように、空き瓶が頭部に直撃する挿話さえ存在するのだ。結果としてこの出血を伴う苦痛が、2人だけの特別な時間の儚い尊さを一層際立たせているのは言うまでもない。

『銀河の死なない子供たちへ』ではさらにもう一歩踏み込んで、血は対照的なふたつの生命の象徴として登場する。刹那的な暴力の表現方法として出発した施川ユウキの「血の描き方」が、長い空白期間を経て手塚治虫の『火の鳥』を参照するレベルにまで意味的な発展を遂げているのは感慨深い。その洗練の度合い――血を通じて不死、あるいは死を堂々と描こうと腰を据えたこと――が、漫画家としての技量の成熟そのものを示していると言ってもいいかもしれない。

15年前の『ユリイカ』(2003年11月号)で「もはや画への興味がまるでなく、言葉の側へマンガとして成立する極限まで近づくことに挑戦している」とまで評された作家は、言葉の鋭さはそのままに、紛れもなく画を通じて素晴らしいマンガを成立させる術を体得しつつある。ぜひ『銀河の死なない子供たちへ』に目を通して、その表現力の充実ぶりを確かめてみてほしい。

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