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他人に「今朝見た夢の話」が絶対できないタイプの人間は、映画『勝手にふるえてろ』を見ましょう

©2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

わかるヤツだけわかればいい。

女優・松岡茉優の初主演映画『勝手にふるえてろ』(全国公開中、配給:ファントム・フィルム)は、大変面白いけれど、大変つらい気持ちになる傑作でした。逆に、この映画がまったく理解できなかったという人の感想を聞いて、こちらがクゥ~ン……となりたい。

薄っぺらい“イケてない女”像はもうやめろ

10代の多感な時期を“イケてない側”として生きてきた人間としては、美人女優を干物女役やオタク女役にキャスティングされると、あーはいはい、面白いね斬新だね……と速攻で心を閉ざしてしまう。

「ヒロインは、散らかった部屋に住んでいて、休日はすっぴんで家飲みです! イケてないでしょ!」みたいにアピールされると、お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな……と後ずさりして、さりげなく距離をとる。

中高6年間、『銀魂』などの同人小説を毎日最低3本書いて、個人サイトに粛々とアップしていた人間に謝ってほしい。珍しく同級生にマイミク申請されても、「私はmixiが居場所なのでリアルは持ち込みたくない」とわざわざ断っていた。それだけインターネットに本気だった。

ともかく私にとって、多くのフィクションで描かれる“非キラキラ女子”はミンストレル・ショーのように感じていたのでした。白人様は私たちのことをそういうふうにオモシロ消費なさるのね……。

一方、『勝手にふるえてろ』は、黒人による黒人のための黒人に向けたブルースでした。

ラブコメというか、妄想まみれの独り相撲

『勝手にふるえてろ』は、綿矢りさによる原作を、大九明子監督が実写化。24歳のOL・ヨシカは、中学の同級生・イチに10年に及ぶ片想い中。そんな中、会社の同期・ニがヨシカにアプローチをかけてくる。初めて告白されて大はしゃぎのヨシカだったが、それでもやっぱりイチが好き――。

物語のジャンルとしては、まぁ~ラブコメになるのかな……という気はしますが、ほとんどすべてがヨシカの独り相撲。イチにずっと片想いしているといっても、中学時代にほんの少し言葉を交わしただけ。現在はまったく接点がなく、中学時代の思い出を反芻してニヤつく日々。

交際経験ゼロのわりには自分を慕うニを完全なるキープとして適当に扱う、謎の上から目線も妙にリアル。自意識が肥大しまくっていて、卑屈なのか傲慢なのか、精神のバランスが悪い。それが面倒くさい女の共通点。

脳内ではやたら喋るのに、現実では大人しいところ。主張しないわりに、嫌いなものがめちゃくちゃ多くて攻撃性が高いところ。感情のアップダウンがやたら激しいところ。共感できるポイントはたくさんありましたが、ヨシカの“骨を断たれてもいいから相手の肉を斬らないと気が済まない”性格は、大変「わかる~!」となりました。

私も何かスイッチが入ると、とにかく相手の精神をズタズタにしなければというテンションになりがちなので、あのとき訴えられたら負けていたな……と振り返るような出来事も人生にちらほら。今でも殺意を抱いている相手だとしても、訴えられなかったことに関しては素直に感謝です。

というわけで、私は『勝手にふるえてろ』を見て、私がヨシカだ! くらいの気持ちになったのですが、ヨシカの言動をまったく理解できない人もいるのだろうな。「なんかヒロインが気持ち悪くて嫌だった」くらいの感想を持つ人も多いのだろうな。

わかるかなァ~~~わかんねぇよなァ~~~~。

“謙虚さ”が“面倒くささ”に変わる境界

『勝手にふるえてろ』は、誰もが心の中に大なり小なり抱えている要素を刺激するタイプの映画ではありません。しかも、わかりやすく伝えるための翻訳的な演出(多くの場合、薄味に仕上げがち)を採用していないので、面倒くさい女たちが「私と同じ病気にかかっている人間が描かれている!」と大はしゃぎできる一方、キョトンとしている間にエンドロールが流れてしまったという人も少なくないはず。

かといって、あるあるネタで一部の種類の人間を共感させるだけの内輪向け的な作品かといったらそうではない。『勝手にふるえてろ』は、ヨシカに共感できる人間を選別した上で、全力で殴ってくる。あまりにも厳しい。

ところで自分がその立場だからという理由で、さんざん「面倒くさい女」とか「イケてない側」とか連呼してしまいましたが、『勝手にふるえてろ』は、イケてなくて面倒くさい女しか共感できない作品というわけではありません。「自分は男だから関係なさそうな作品だ」と即断するのは早計にすぎる。

ヨシカの抱えるブラックホールは、“他人は自分のことなんて見ていない”という自覚が強すぎることに根差しているのだと思います。他人の自分への興味のなさを常に意識しているがゆえに、誰かとコミュニケーションをとることに恐怖を覚えてしまう……というのが、一部の人間が抱えている面倒くささの核ではないでしょうか。

何か面白い出来事があったとき、誰かに伝えたいと思っても、「自分にとって面白い話って、他人からするとどうでもいいことが多いし……」と飲み込んでしまいがちな人。今朝見た夢の話を屈託なく披露してくる相手を「なんか、すげーな……」と感じる人。

性別というより、イケてるとかイケてないとかいうより、そんな卑屈さとないまぜになった謙虚さのせいで、やや息苦しさを感じている人こそがヨシカに共感できるはず。

すべての感情は「勝手に」以上でも以下でもない

となると、やはり『勝手にふるえてろ』というタイトルの醸し出すニュアンスは絶妙だなぁ。私の感情ひとつひとつなんて世界からすると“勝手に”以上でも以下でもないけれど、そこに苦しさを感じるのだとしたら、恐ろしくても人間に対して1歩踏み出さないと一生ずっと苦しいままなのです。

というわけで、「勝手にふるえてろ」というセリフの劇中での使い方だけなんとなく唐突感があってもやもやしていたのですが、この絶妙な文言を使わない手はなく、やはりやむなし。

あとイチ役を演じた北村匠海は、ヨシカを理解するのにマジで苦しんだことをインタビューなどで公言していますが、そこまで踏まえてのキャスティングだったら本当にすごい!


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